2017年6月25日日曜日

はり新の観光案内(下ツ道 その1/見瀬丸山古墳〜橿原神宮、神武天皇陵〜近鉄笠縫駅近く)

●かつて奈良盆地には南北に走る三本の官道があり、東から上ツ道、中ツ道、下ツ道と呼ばれました。これらの道路がいつ造られたのか詳しくは判らないようですが、壬申の乱(672年)で大海人皇子(後の天武天皇)がこれらの道を効率よく利用して軍を展開した記録が残ります。
 上ッ道と同様、古代の香りがする下ツ道に以前から興味があったので、数回に分けて歩いてみることにしました。(歩き始めたのは9月でした)
途中、神武天皇陵にも立ち寄りました


●当店の看板料理「かみつみち弁当」の「かみつみち」とは上ッ道のことで、当店の前の道が上ッ道の北端となることに因んで名付けました。時代が下ると上ッ道は上街道となり、京の都から初瀬詣や伊勢詣にむかう重要な街道となりました。その後、移動や物流の主役が自動車に変わる昭和中期に国道169号(奈良天理線)が整備されるまで、奈良の物資輸送の大動脈としての役を担いました。現在、かつての上ッ道を歩くと数カ所判りづらい点がありますが、なんとか奈良町から桜井、そして山田寺跡まで歩くことが出来ます。
 一方、下ツ道は奈良時代には平城京と藤原京という新都/旧都の中央を結ぶ最重要道路として重宝されていたと思われます。しかし、都が奈良を離れると街道としての必要性が失われ、横大路との交差点(八木)以外の部分は徐々にに荒廃していったのではないでしょうか。上ッ道同様、昭和中期に今の国道24号線が下ツ道のバイパスとして整備されました。

 今回は藤原京跡の南、見瀬丸山古墳から北上して朱雀門を目指すことにしました。ネットや図書館で調べると、途中まで下ツ道の標識や旧街道らしい雰囲気のある建物があるそうですが、名阪道路の北側は都市開発の影響でルートが良くわからないようなので、歩きながら旧街道の痕跡を探してみることにします。


まずは岡寺駅をスタート地点としました。岡寺駅は近鉄吉野線にある小さな駅ですが、飛鳥方面へのハイキングコースの北起点となるので、朝夕は多くのハイカーが利用する駅です。下ツ道の南端を見瀬丸山古墳とすると聞いたので、まずは岡寺駅から少し北にある見瀬丸山古墳を目指します。
スタート前に念のため駅前にある地図を見てみます。
岡寺駅周辺には藤原京跡や甘樫丘、そして古墳がたくさん
ありますね。古代史好きの方なら、このエリアだけで
2〜3日は楽しめそうですね。




駅ロータリー出口に建つ石碑。明日香村サイクリングで何度も訪ねているので、今回は天武・持統天皇陵はパスさせていただきます。


国道169号沿いの地図です(地図の下方向が北)


案内版は"古墳"の文字だらけですよ(笑)


岡寺駅から15分ほど歩くと右手に丸山古墳が見えてきます。全国で六番目、県下最大規模の前方後円墳。当初円墳と考えられていましたが、後に航空写真等により周庭帯をもつ前方後円墳と判明したそうです。古墳の一部が国道169号により分断されています。







丸山古墳から下ツ道に戻ります。下ツ道を少し北上してから西方面へ。橿原神宮にお詣りしました。橿原神宮は、かつて神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる地で、1890年明治天皇の命により創建されました。全てに於いて
スケールの大きい神社なので時間に余裕をもって、ゆったりと参拝したいところです。


いいキャッチコピーですね




広い!正月には初詣客でごった返しますが、
平日に行くととても贅沢な空間を堪能できます。




ちょうど「神武天皇御一代記御絵巻」展を開催していました(2016年の記録です)。神武天皇のことは詳しく知らなかったので、結構面白かったですよ。


橿原神宮から神武天皇御陵まで歩く途中、こんな案内版を見つけました。この辺りには橿原遺跡があり、縄文時代晩期〜飛鳥・奈良時代にかけての多くの遺構、遺物が発見されたそうです。


神武天皇御陵に到着しました。橿原神宮に掲示されていた地図で確認すると "すぐ近く"にみえましたが、徒歩で45分ほどかかりました。


簡素な風景ながら、目前に迫る畝傍山に圧倒されます。広大な敷地と畝傍山が醸し出す神々しい雰囲気が初代天皇にふさわしい荘厳な神域を感じさせてくれます。

神武天皇御陵を出て次は下ツ道の東側に向かいます。次に目指すのは本薬師寺跡。


この時期(9月中旬)に下ツ道ウォークを始めたのは、この景色を見たかったから。ホテイアオイの絨毯です。ここは本薬師寺跡。


本薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒のために建てたお寺で、当時は薬師寺と呼ばれていました。都が藤原京から平城京に移された時に、お寺も今の奈良市西ノ京に移されました。以後、薬師寺のあった場所は本薬師寺と呼ばれます。ホテイアオイは地元の畝傍北小学校の2年生が、毎年近所の農家さんと一緒に植え付けているそうです。


彼岸花とホテイアオイのコラボレーション。奥の見える茂みは本薬師寺の金堂跡。


塔跡にもホテイアオイ
ホテイアオイの向こうには畝傍山。奈良時代の文化人ならここで詩を詠むところでしょう。私も一句、と思いましたが・・、何も思い浮かばないので先を急ぎます。


本薬師寺の案内版




本薬師寺には駐車場が用意されています。周辺道路は道幅が狭いので路上駐車は絶対にやめましょう。では、下ツ道ウォークを再開します。


本薬師寺から下ツ道に戻ります


下ツ道跡の碑がありました


「下ツ道跡」の碑は、かしはら万葉ホールの近くです


ここで下ツ道は枝分かれします。歩道橋に登って上から進路を確かることにします。


歩道橋から北方面を見てみます。あらかじめ調べていた地図と、立ち並ぶ家々の雰囲気などからこの道を進むことにします。


暫く歩くと常夜灯が見えてきました。旧街道で間違いないでしょう。


この辺りはまっすぐな直線道路です。道は歩きやすいのですが、抜け道になっているのか自動車はよく通りました。


昔の街道らしい雰囲気がありますね
暫く歩くと八木札の辻に出ました。ここは、古代の東西官道と南北官道の交差点。古代奈良盆地には、東西に横断する横大路と南北に縦走する三本の幹線道路(上ッ道、中ッ道、下ッ道)がありました。その横大路と下ツ道が交差するのがここ。江戸時代中期以降、この界隈は伊勢参りや大峰山への参詣巡礼者などで賑わっていたそうです。


八木札の辻に建つ平田家(旧旅篭)は市指定文化財となり、「八木札の辻交流館」として新しい役目を担っています。月曜日が定休日です(この日は定休日でした)



はり新の定休日と一緒なので、なかなか中に入れない




八木札の辻の説明書きがありました。
八木の町は古代から官道が交わる交通の要所でした。

八木駅の近くには今井町があります。
いずれ、今井町についてもご紹介したいとおもいますが、今回は立ち寄らずに北を目指します。


更に北に進む予定でしたが、橿原で東へ西へとウロウロしたので些か疲れました。今回は笠縫で終わりとします。

次回は田原本を通過します!楽しみです。

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