2017年7月7日金曜日

はり新の観光案内(古代の街道 下ツ道を歩く その2)

●下ツ道を歩く第2回目 梅雨入り直後の青空の下、笠縫駅から北を目指した記録です。今回はあまり時間がなかったので笠縫駅から近鉄線3駅分ほど北上の予定、出来たら途中で唐古鍵遺跡(弥生時代の環濠集落遺跡)に立ち寄りたい。

空は真っ青、街道ウォークには最高の天候。笠縫駅から歩き始めて川沿いの道を北にすすみます。振り返ると標識に下ツ道」の文字。今から思えば下ツ道は北上するのでなく南下して橿原神宮をゴールにすればよかったと思いました。「あと何km」って表記が「もうすぐゴール」って気分を盛り立ててくれそう。

下ツ道は中世に整備され、それ以降は「中街道」と呼ばれるようになります。もうすぐ田原本。

田原本エリアに入ります。下ツ道は都市整備などで道が分断されたり移設された部分が多く道に迷う区間が数多くありますが、八木〜田原本間では道が直線的な上、「下ツ道」の表記が数多くあるので何の心配もなくズンズン先に進めます。

田原本の中心部に入りました。昔の幹線道路沿いらしい立派な建物が並びます。空は真っ青ですが梅雨の最中なのでかなり蒸し暑く感じます、早速ペースダウンです。

南北にまっすぐ伸びる道。下ツ道の道幅は全体的にこんな感じです。上ッ道もそうでしたが、下ツ道沿いにコンビニはほとんどありません。笠縫駅で買ったスポーツドリンクをチビチビと大切に飲みながら歩きます。


虫籠窓が良い雰囲気を出しています。鍾馗さんがいらっしゃいます。田原本には立派な建物が多い。良い街並みです。

何年前に建てられて、どんな商売をされてきたのか、
どんな歴史があるのか・・、等々。気になります。




近年造り替えられた石碑のようです


常夜灯があるのでこのまま北上したいのですが、
進んでみるとどうも違う。
左右の道を探してみると一本東側の道が下ツ道らしい。

所々、電柱には下ツ道標識があります。
「←平城京 藤原京→」
大ざっぱな道案内が嬉しい

軒が大きく波打ってますね。
古い建物は維持にお金と手間がかかります。この辺りで一度休憩したいと思いましたが、唐古鍵遺跡でゆっくり休みたいのでこのまま北上を続けます。

この辺りの道路には「唐古鍵遺跡」のマークが埋め込まれています。唐古鍵遺跡は、平成11年に国の史跡に指定された弥生時代の環濠集落遺跡です。楼閣がランドマーク。


田原本町役場近くの標識で現在地を確認します。ここから東に向かえば唐古鍵遺跡ミュージアムがありますが、今日(月曜日)は定休日なので、もう少し北側にある遺跡を目指します。


鏡作坐天照神社さんに鳥居前からご挨拶。古くから鏡鋳造の神として信仰を受けてきた鏡作神社、現在も美の神として美容師さんや鏡業界関係者の参拝が多いらしい。

安養寺がありました。こちらに客仏として安置されているのが仏師・快慶作の阿弥陀如来立像。「こぢんまりしたお寺にとんでもなく素晴らしい仏様がいらっしゃる」のも奈良らしいところ。この安養寺の先で下ツ道は寺川の西から東に移ります。


安養寺の北側で下ツ道を離れ、東に15分歩くと唐古・鍵遺跡に到着です。現在ここは再開発事業の真っ最中。ここで休憩しながらぼーっツと弥生時代に想いをはせる予定でしたが、工事用車両が出入りして今はそれどころじゃありません。気を取り直して、少し残してたスポーツドリンクを一気に流し込んで池をグルッと回ってみます。

池の南西部には復元された立派な楼閣が。予想以上に大きく立派な建物でした。クルクルっと巻かれた飾りが印象的。面白い建物なのでじーっと見ていたら沢山の蚊が寄ってきました、池の畔のせいか蚊が多い。弥生時代の人々は蚊をどうしたのでしょうか。


鏡作神社のことを書いてますね

史跡公園としての完成がたのしみです



田原本は肥沃な土地に恵まれたため、古くから大きな集落が形成され人々の社会生活が始まりました。その肥沃な土質はいまでも変わらず、現代でも大和伝統野菜「味間芋」などの美味しい野菜が生産されています。今日は時間がないので、下ツ道ウォークはここまでにします。次回は一気にゴールの朱雀門を目指します。

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