2017年7月29日土曜日

はり新の観光案内(古代の街道 下ツ道を歩く その3)

●下ツ道を歩く第3回目の記録です。これまでのんびりと歩いて来た下ツ道ですが、今回は結崎駅から北上、羅城門跡を通りゴールの朱雀門まで歩きました。

歩いた日は、今にも雨が降りそうなどんより曇った6月らしい天気でした。湿気を含んだ空気が身体にまとわりつく蒸し暑さ。今日のスタート地点は近鉄結崎駅です。この近辺で採れる青ネギは大和伝統野菜「結崎ねぶか」として
有名。飛鳥鍋に入れると柔らかくて堪らなく美味しい。

結崎ねぶか」の他にもいろんなセールスポイントがある川西町。また、あらためて散策したいと思います。

結崎駅から15分ほど歩いて、前回中断した場所に
戻りました。さて下ツ道を北上します。

こんな案内版がありました。奈良県民なら小学校で必ず学習する「吉野川分水」の水がここまで来ています。「吉野川分水」は奈良県のHPにも掲載されていて、吉野川(紀ノ川)から取水した水で奈良盆地の農地を潤した壮大なプロジェクトでした。奈良県HPへ

さて、この北側が二階堂エリアです

二階堂では下ツ道の左右に風情る建物が並びます。
抜け道になっているのか車の通行が非常に多くて写真を撮り損ないました。

田原本町のものとは趣の異なる虫籠窓
二階堂の北側で高速道路工事のため下ツ道は迂回を
強いられます





高速道路の工事箇所を迂回したすぐ北側には菅田神社の
鳥居がありました

言い伝えにある「嫁取り橋」を通りました。板切れに「嫁取り橋」と書いて貼り付けてあります。一時的な事でしょうか。少し残念な表示です。

下ツ道は急に狭くなります。自動車は通れません。急に道が細くなるのは、その先で私有地に入ったり行き止まりになる可能性が高いパターンです。この道で正しいのか心配で周囲を見ながらの前進です。

中央卸売市場近くにある番条環濠集落に立ち寄りました

番条の環濠集落の北側には稗田の環濠集落があります。
古事記編纂に携わった稗田阿礼がこの地の生まれだとも言われます。

古事記編纂に携わった稗田阿礼を祀った売太神社。
一度聞いた話は決して忘れない、と言われた稗田阿礼に因み学問の神様として信仰を集めています。

稗田の環濠集落の西側

 稗田の環濠集落の少し北側には大和郡山駅があります。駅西側には日本三大稲荷のひとつに数えられる「源九郎稲荷神社」さんがあるので立ち寄りました。三大稲荷には幾通りかの組み合わせがあるそうです(伏見稲荷大社はかならず含まれるそうです)。

源九郎稲荷神社の辺りも素晴らしい木造建築物が
残ります。凄いですねぇ、3階建てです。
大和郡山駅の北側、佐保川には「らじょうもんはし」があります。平城京の羅城門があった場所です。
奈良時代ここには平城京のメインストリート「朱雀大路」がありました。ここ(羅城門)から4キロ北にある朱雀門と大極殿がみえるはずです。


肉眼ではよく見えません。デジカメの望遠を使うと(木が茂って見えづらいですが)朱雀門と大極殿が重なって見えますね。ちなみに朱雀門手前に見えるのが近鉄奈良線の架線です。

羅城門跡の説明書きがあると聞いたので探してみました。橋脚の足元、少し寂しい場所に何か書いてありますね。アレでしょうか・・?

やはり羅生門跡をしめす碑でした

現在、朱雀大路は失われ羅城門跡も説明書きがあるだけです。ここから北側は道路整備や都市開発の影響で下ツ道の痕跡を見つけるのは難しいようです。少し西側にある県道9号線(唐招提寺や薬師寺の東側を通るルート)で北上します。

県道9号線は平城旧跡の西端に繋がるので、大宮通を東に歩き朱雀門に到着しました。羅城門跡を出てすぐにカメラのバッテリーが切れてしまったので、ゴールの朱雀門は先日撮影したものを載せておきます。

下ツ道沿いには大きな古墳や環濠集落、羅城門跡、薬師寺や唐招提寺があり、時代変化に富んだウォーキングとなりました。今回のウォーキングコースは「歩く・なら」のサイトにも詳しく解説されています。

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