2018年10月31日水曜日

はり新の観光案内(興福寺特別展 『再会 梵天・帝釈天』 @ 国宝館)

●中金堂再建に沸く興福寺では特別展が開催されています。享保2年の大火災から明治初期の神仏分離/廃仏毀釈、この混乱の時期に寺から流出した寺宝の中で「帝釈天」が期間限定で興福寺に戻っています。梵天や帝釈天が単独で祀られるのは希という事なので二尊が揃うのが本来のお姿。約110年ぶりの再会のようです。
梵天、帝釈天は国宝館にて拝観できます
袈裟の下に鎧を着ているのが帝釈天
(現在、帝釈天は東京の根津美術館所蔵です)

 ● 梵天・帝釈天は康慶門下の仏師・定慶作の様ですが、見比べてみると印象が全く違います。帝釈天の方が顔の彫りが深く、身体にも厚みがあります。しかし、離れたところから揃った姿をみると梵天、帝釈天ペアのバランスが良いんですね。これは二尊が並んでいるからこそ判ること、今秋奈良を訪れる方は国宝館に立ち寄られることをお勧めします。帝釈天を拝んだ後は、境内を少し散策。


国宝館を出ると落慶法要を終えた中金堂が眼に入ります。
大屋根の四隅に垂らされて幡が風に泳いで優美ですね。
金色の鴟尾も華やか。


金色に輝く風鐸と美しい幡。近くにいらっしゃった興福寺スタッフに聞くと、風鐸は邪鬼除けの目的もあり、風に揺られて鳴る風鐸の音が聞こえる範囲は聖域として護られているそうです。普段は気にしない部分ですが、意味を教えて頂くと他の建物も見てみたい!

この機会に他の風鐸を調べてみます
まず、最初は東金堂と五重塔
(写真は3年前に建設工事中の中金堂から撮影した東金堂と五重塔)

東金堂の風鐸

五重塔の風鐸
五重塔の風鐸は初層の四隅にだけ

五重塔が初層だけに風鐸を持つなら三重塔はどうでしょう
現在の興福寺伽藍で一番古い建物です

なんと三重塔には風鐸はありません


三重塔の反対側には南円堂
この八角堂はどうでしょうか


南円堂の風鐸
八角堂の屋根に八つの風鐸が吊されているようです

今度は北円堂に向かいます

北円堂の風鐸

最後は仮講堂

仮講堂にも風鐸がありました

なぜ三重塔だけ風鐸がないのでしょうか
すっかり陽が西に傾いてしまいました
梵天、帝釈天の特別公開もお勧めですが興福寺伽藍をジックリと観察することも面白いですよ。


帰り道、荒池の木々はすっかり秋の装いです
今年の奈良の冬は早く来るのかな

2018年10月24日水曜日

はり新の観光案内(ライトアップ 興福寺中金堂)

●興福寺中金堂は10月20日から一般公開が始まり、暫くの間(11月11日まで)は夜間拝観と同時にライトアップも楽しむ事が出来ます。当店玄関からライトアップされた中金堂の鴟尾がチラッと見えます。毎日気になって仕方ないので定休日を利用して夜間拝観とライトアップを楽しんできました。


猿沢池から五十二段を登り、五重塔の前を通り過ぎると左手に中金堂が見えてきました。平城京の大極殿に匹敵する大きな御堂ですが、夜に見ると更に大きく感じます。

入り口で拝観料500円を払うと一人ひとつずつカラー提灯を手渡されました。時間と共に色が変化するのが面白い。

中金堂を背景に提灯を撮影。
今までの興福地さんのイメージと違う色使い。
「こんなカラフルな趣向じゃなくてシンプルなライトアップが良かったなぁ」個人的な感想ですが、300年ぶりのお祭りなので
 まずは、中金堂に入り堂内を拝観させて頂きました。中央には眩しく金色に輝く木造釈迦如来坐像、その脇に薬王・薬上菩薩立像と吉祥天(厨子)、大黒天、これらを四天王(国宝)が護ります。また、中央の堂柱は"法相柱"として法相宗の教えを伝える祖師が描かれています。

 後から人が次々と入ってくるので、早々に御堂を出て中金堂を正面から鑑賞してみます。短時間で目まぐるしくライトの色が変わり華やかです。










薄雲の向こうに月が見えます。手前に見えるのが中金堂を照らし出す光源。五重塔もライトアップされていますよ。

西側照明の後ろには南円堂のシルエットが見えます
この優美な八角堂が大好きです。


2018年9月27日木曜日

はり新の観光案内(元興寺文化財研究所)

●先日、元興寺文化財研究所の見学会に参加してきました。文化財を調査・研究する施設としては "民間唯一" の研究所のようです。分析機器を見たり、実際の作業風景をガラス越しに見学できたりと、なかなか面白い90分でした。





●日本で最初に建てられた本格的仏教寺院は飛鳥にあった法興寺と言われます。今から約1300年前、その法興寺を奈良に移したものが「元興寺」で、現在は世界遺産として登録されています。 
 奈良時代には東大寺に次ぐ寺勢を誇った元興寺ですが、都が奈良を離れると徐々に衰退、中世以降は浄土信仰や地蔵信仰など庶民信仰の場として大切にされていました。しかし、その後の一揆や落雷などにより伽藍が失われていくにつれ更に衰退が進み、昭和初期には無住の荒れ寺になっていたそうです。  

 1943年、辻村泰圓氏により元興寺の整備復興が始まると極楽堂と禅室から約10万点にも及ぶ仏教民俗資料が発見されました。それらを調査・整理するために設立されたのが現在の「元興寺文化財研究所」、説明を聞くまで私も知りませんでしたが、"民間唯一"の文化財研究機関だそうです。

 1時間半の見学会でしたが、時間が経つのを忘れるほど内容の濃いものでした。ただ、写真撮影などには規制があるためブログなどのネット上でご紹介できる内容には限りがあることが残念です。(以下、見学会の概要のみのご紹介となります。チャンスがあれば是非、見学会に参加される事をおすすめします)見学会のお問い合わせは→元興寺 公式サイトへ でご確認下さい。

地図で場所を確認しておきます。地図の左上にはJR京終駅、地図の中央を縦に走る街道が上ッ道(上街道)、ここから北に15分ほど歩けば当店(はり新)があります。その上ッ道の南に元興寺文化財研究所があります。
研究所のある場所は"肘塚"と書いて"かいのづか"と呼びます。難読解な地名です。奈良時代の僧侶玄昉の伝説に因んだ地名です。


研究所のある場所は約20年前までテイチク本社工場のあったところ。当時テイチクに勤めていた人に聞くと、石原裕次郎氏や八代亜紀氏など昭和を代表する音楽家が多数、こちらの本社に出入りして、とても華やかな場所だったそうです。


展示されていた航空写真を見ると、この肘塚のすぐ北には若草山をはじめとする春日山系の山々、原始林が拡がりるのがわかります。


昔の地図が展示してありました。現在の奈良女子大の場所には奈良奉行所、その南側に興福寺、さらにその南側に元興寺があります。その辺りから南に伸びる道が上街道(上ッ道)で、道を南下した先に研究所のある肘塚があるのが判ります。

当店を出て上ッ道を南下します。約15分あるけば肘塚到着。研究所に入ってすぐ左の建物に入ります。

「ルーパ館」と書いてありますね
サンスクリット語で「形ある物」という意味だそうです



ルーパ館1Fの部屋に入って受付を済ませます。この室内には数種の展示物とガラス越しに分析機器が並びます。実際に職員さんが作業されていました。

こちらの分析室は撮影可能なので一通りカメラに収めました。この部屋以外は、写真撮影はできますがSNS等への投稿は禁止されています。研究対象物の大部分が預かり物で、所有権が元文研にはないので勝手に写真をネットに上げてもらっては問題になるそうです。撮影できたのはまず、電子顕微鏡(エックス線分析ができるEMAXが付いています)。

SEM-EMAX の隣にもエックス線分析装置が並んでいます。左側が粉末X線回折装置(XD)、右側が蛍光X線分析装置(XRF)。これらの組み合わせにより無機化合物の同定と定量が可能。壁画の彩色(顔料成分)の分析などにも役立ちます。

こちらは置換材のサンプル。地中から発掘された木製品はそのまま置いておくと乾燥が進み、変形や割れてしまう危険性があります。それを防ぐのに木製品中の水分を合成樹脂等で置換する方法はとても有効だそうです。どの置換剤を使ってどのような条件で処置していくのか、研究施設の腕の見せ所。

建物の屋上にて周囲を説明していただきました
こちらは北側の風景。興福寺五重塔や奈良県庁、ならまちが見えました。

こちらは南西方面。生駒山系、矢田丘陵、二上山、葛城金剛山系が見えます。

研究所の研究成果を簡単にまとめた物が展示されていました。巨石運搬用の橇(修羅)をPEG含浸法による保存に成功したことなど、数々の実績が判りやすく書き記されています。元興寺文化財研究所のHPと対比してみるとさらに良くわかります。→元興寺文化財研究所HP「沿革」へ

●奈良県内には元興寺文化財研究所の他に、奈良文化財研究所、橿原考古学研究所など世界トップレベルの文化財研究機関があります。最後に元興寺文化財研究所の強みをスタッフに聞いてみましたが、こちらはオールラウンドに各分野に対応できる柔軟性が特徴のようです。

2018年9月20日木曜日

掲載誌のご紹介(奈良 100選/あまから手帖)

●あまから手帖(株式会社クリエテ関西)より出版された『奈良 100選』で当店をご紹介頂きました。昨今、奈良では素晴らしいお店が増えています。海外や他府県で経験と実績を積んだ料理人が奈良の食材と風土に魅了されて、その腕を披露しています。この秋は是非、奈良にお越し下さい。


本誌は「日本料理・割烹・寿司」「和食・居酒屋」「フランス料理」「イタリア料理」「各国料理」「肉料理・洋食」「麺類」「喫茶・バー」「テイクアウト・みやげもの」「東大阪・八尾」の10カテゴリーに分けて編集されています。当店は「日本料理・割烹・寿司」の一店舗として掲載していただきました。取り上げていただいたのは「かみつみち弁当」ではなく夜の「大和の会席料理」でした。

★ なお、当店の会席料理は一日一組様限定、二営業日前までの御予約をお願いしております。ご不便をお掛けしますが、ご理解賜りますようお願い致します。

2018年8月13日月曜日

期間限定 精進弁当を予定しております(興福寺中金堂 落慶法要期間限定)

●興福寺さんから中金堂落慶慶讃法要の案内状をいただきました。落慶法要期間(10月8日〜10月11日)には限定特別メニューを考えておりますので、そちらの段取りにより参列できるかどうか思案中です。
高野豆腐を使った「鶏肉竜田揚もどき」や野菜の天麩羅、黒豆の煎り大豆御飯などが入った『精進ちょうちん弁当@1,700円』10/8~10/11ランチタイムのみ、一日10名様分を御用意させていただきます。



2018年7月31日火曜日

はり新の観光案内(唐古・鍵遺跡史跡公園)

●今年4月にオープンした唐古・鍵遺跡史跡公園に行ってきました。→ 唐古・鍵遺跡史跡公園webサイトへ
「弥生時代なんて未開人だから面白い遺跡などあるの?」などと舐めてましたが、その智恵と技術力には舌を巻きました。
今から2200年以上前、奈良県田原本ではこの様な光景が見られたのではないでしょうか

●奈良盆地の中央部に位置するこの場所は今から約2200年前、近畿地方では最大級の大集落でした。そこには全国から翡翠や土器が集まり、銅鐸や青銅器を作って各地に送りだしていたようです。

地図で場所を確認しておきます(地図は八木札の辻に掛かっていたものを拝借)この地図は奈良盆地を表し、北側の赤色の格子が描かれている場所が平城京、南側の赤色格子が藤原京。新旧二つの都の間を上ッ道、中ッ道、下ッ道の大和三道が走ります。唐古・鍵遺跡と呼ばれる弥生期の遺跡は藤原京の北側、下ツ道周辺から見つかっています。奈良町からは車で約30分、下ツ道(国道24号線)を南下して行けば到着します。

奈良町から車で約30分、公園東側の駐車場に車を停めました。駐車場周辺には広大な水田が拡がります。かつて湿地だったこの辺りは昔から米作りに適した場所だと聞いたことがあります。2000年以上前からこの水田風景は変わらないのではないでしょうか。

駐車場の端に公園内の地図があったので位置を確認しておきます。公園中央に唐古池があり、その左下(南西)にランドマークの復元楼閣が建ちます。公園面積は42haですが、遺跡はこの何倍もの広大な範囲に広がっています。(現在までに調査がすんだのは全体のたった9%らしい)

駐車場から公園に入り左の方に歩き進みます。この辺りが「弥生の林エリア」、周囲の土壌から発見された植物の種子や農具に使われた木材などを元に選定された樹木が植栽されています。クヌギ、コナラ、クスノキ、ムクノキ、クリ、シラカシなどなど。去年〜今年に植えられた若い樹木なので今後、樹木が大きく生長して林になるのが楽しみです。

「弥生の林エリア」を抜けると遠くに楼閣が見えてきました。「弥生の建物広場エリア」から楼閣へと 近付いてみます。
「弥生の建物広場エリア」から楼閣に近付くと赤褐色の円柱が整然と並んで建っていることに気付きます





約2200年前に建っていた大型建物跡がこの辺りで発掘され、その柱を現しているのがこの円柱です。大型の高床倉庫と考えられているそうです。(柱一本が太い!)




復元楼閣に着きました。高さ12.5m、出土した絵画土器に描かれていたものを参考に平成6年に建設したもの。実はこの様な建物が建っていたという痕跡は未だ見つかっていないようですが、時代の異なる二つの土器に同じ楼閣の絵が描かれていたことなどから、いずれかの時代に楼閣のような建物が建っていたと考えることができるそうです。

数年前、下ツ道を歩いた時にチョコッと立ち寄って復元楼閣を撮影していました。その時と比べてみると屋根など少しアップグレードしていますね。


復元楼閣から遺構展示情報館に向かいます。その途中で、環濠の一部が再現されていました。環濠を作った目的は外敵から村を守るためだけでなく、地下水の水位を下げることにもあったそうです。(この辺りは50~60cm掘り下げると水が染み出してくる場所なので、そのままでは竪穴式住居も作れない。村の周囲に溝を掘ることにより地下水の水位を下げる必要があったそうです)


 遺構展示館に到着。公園裏手の駐車場から入園したので、こちらが公園の正面になります。
入り口にはキャラクターの「楼閣くん」  
遺構展示情報館に入ると壁際に唐古・鍵に存在した弥生時代の村の想像図がありました。周囲を川が何本も流れ、その内側に環濠を何重にも巡らしています。環濠の長さは総延長数キロ〜数十キロにもなり、水の流れを計算して水路を整備するには高い土木技術が必要だそうです。


想像図の近くにはジオラマ
映画"ナイトミュージアム"みたい!

遺構展示情報館のメイン展示はこちら「独立棟持ち柱」の建物遺構。伊勢神宮の正殿と同じ建築様式で、神聖な領域に建てられた建物の跡と考えられるそうです。それはそれは大きな柱跡が並んでましたよ。

遺構展示情報館を出て道を渡ると道の駅があります

こちらでは県内初!アイスブリュードコーヒーを飲むことが出来ます。泡が一杯、まるで生ビールみたい。冷たくて美味しかった〜。
なんでこの唐古・鍵に県内初のアイスブリュードコーヒーがあるかというと、この唐古はUCCコーヒー創業者 上島忠雄の出身地のようです。UCCコーヒーにとって特別な場所なんですね。遺跡公園に隣接してUCC唐古庭園もありました。



現在も唐古・鍵一帯は土地が肥え、美味しい大和野菜がたくさん採れます。この地で得た米を力とし、唐古・鍵の弥生人は各地と物々交換をして富を得、多重環濠や楼閣を持つ事により村を守り、周囲にその力を示した地域のリーダーだった・・、そんなことを想像した一日でした。
「多重環濠エリア」まで足を伸ばす予定でしたが、暑くて暑くて日陰のない公園内を歩き回るのはとても無理でした。園内を巡回してくる公園スタッフが来園者に片っ端から"大丈夫ですか、お水飲んでますか?"と声を掛けていました。環濠エリアはまたの機会にとっておきます。もっと掘り下げて勉強してみると弥生時代も面白そうです。