2018年1月30日火曜日

はり新の観光案内(周囲は古墳だらけ「歴史に憩う 橿原市博物館」)

●橿原にある「歴史に憩う 橿原市博物館」に行ってきました。こちらは、2014年4月に新沢千塚資料館をリニューアルしたもの。場所は橿原神宮前駅の西側、橿原市クリーンセンターの隣です。

 正直なところ古墳に特別興味があったわけではないのですが、昨夏の特別展『天武天皇 覇者の世界』を無性に見たくなって立ち寄った際、ボランティアガイドさんに熱〜く新沢千塚古墳群の素晴らしさを教えて頂き、古墳の見方が少し変わりました。今回、所用で明日香村に出かけた帰りに、改めてジックリ見てみたいと思い立ち寄ってみました。


建物に入って1階ではガラス越しに出土品の復元作業を見ることが出来ます。2階では出土した土器など(本物!!)に触ることも出来ます。

こちらの博物館は特別展の展示物以外は撮影可能です

新沢千塚古墳群には全部でいくつの古墳があるのでしょうか?あとで写真でご紹介しますが、博物館周辺の公園は小さな古墳がボッコボッコ並んでいて「古墳だらけ」です。
正解は約600基!!

→ 橿原市のサイト(新沢千塚古墳群について)


まるでジュエリー・アクセサリーショップですね。126号墳に納められていた副葬品はとんでもない品々ばかりです(こちらの博物館で展示されているのはレプリカで、本物は東京国立博物館にて保管)。1500年前の副葬品ですよ。一部の遺物は明らかにヨーロッパから来たもので、この時代にヨーロッパ圏と日本がシルクロードで繫がっていた証となるそうです。埋葬されていた人はいったいどんな人物だったのでしょうか。博物館のすぐ近くに126号墳があるので、帰りに立ち寄りたいと思います

驚きました!これは「火熨斗(ひのし)」と呼ばれる物で現代で言うと「アイロン」。焼いた炭を入れて、その熱で衣類のシワを伸ばします。こんな時代から"衣類のシワを伸ばす"なんて意識があったとは。


館内はとても見やすく展示されています。ボランティアガイドさんが、どんな疑問にも答えてくれます。

さすが橿原、今井町についての展示コーナーも

博物館を出て車で3分も移動すれば126号墳があります


あらためて見てみると凄いところですね
ボコボコしているところが全て古墳

あっちを見てもこっちを見ても古墳
 今まで「古墳 イコール 墓」の意識が強くて、何だか"陰"の雰囲気で見てきましたが、これだけボッコボッコと並んでいる様子を見ると変な感覚も吹き飛びました。もう少し古墳時代についても詳しく知りたいと思いました。

2018年1月24日水曜日

はり新の観光案内(山辺の道 その1/海柘榴市〜長岳寺)

●1月15日、桜井の大神神社へお詣りして来ました。寒さが少し和らいだ日だったので「上ッ道」と「横大路」の交差点から伊勢街道〜山辺の道を歩いて大神神社を目指すことにしました。

●山辺の道は日本の歴史上最も古い道と言われ、奈良盆地の東側に連なる山々の裾を縫うように走ります。上ッ道、中ツ道、下ツ道が飛鳥時代に政治・軍事目的などで設置された直線的な街道であるのに対し、山辺の道は獣道が素になったとも言われます。その昔に存在した奈良湖(現在の奈良盆地が湖の底)の湖畔道が山辺の道であるとする考えはとても興味深いものです。

 山辺の道、その最大の魅力は記紀・万葉集ゆかりの地名や伝説が今でも残り、神さびた社や古寺、古墳などが次々に現れて訪れる人を古代ロマンの世界へといざなう事。山辺の道は街道ウォーカーにはあまりにも有名な道で、書籍やネット上にもたくさん紹介されています。当ブログで私の中途半端な説明は不必要かと思いまので、今回は写真でザッとご紹介させて頂きます。


上ッ道と横大路の交差点からスタート。画面奥に歩くと藤原京の北端を通り、竹ノ内街道から堺まで道は続きます。一方、この交差点から右に行くと平城京へ、左に行くと多武峰(談山神社)、手前に戻ると伊勢神宮へと続きます。道幅は広くありませんが、現代でも交通量の多い交差点です。

まずは伊勢街道を東へと進みます

伊勢街道を途中で左折して県立桜井高校前を右へ左へと歩くと「山辺の道」への案内版が出てきました


案内版に従って歩き進むと大和川へ。このあたりが海柘榴市(つばいち)と呼ばれた場所で、古代最大の市があり水陸交通の要衝の地だったそうです。大陸から大和朝廷へ運ぶ品々は瀬戸内海から大和川を遡り、ここ海柘榴市で陸あげ、上ッ道や横大路を使って運び込まれました。のちに下ツ道が完成すると陸あげはもう少し西側(下流側)に移り、海柘榴市はその役目を終えることになります。
大和川沿いに「仏教伝来の碑」がありました。欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金剛像一躯と経論若干巻物等を献上し、日本に仏教を最初に伝えたと言われている所です。

仏教伝来の碑の横に山辺の道の案内標識。
ここから山辺の道をスタートです

海柘榴市の説明書がありました。
「海柘榴市」と書いて「つばいち」なんて、
なかなか読めませんよね
海柘榴市から歩いてすぐ「金屋の石仏」に到着。
もともと、石仏は大神神社近くの平等寺にあったそうですが廃仏毀釈で寺と一緒に破壊されそうなところを村人が助け出し、今も守り続けているらしい。この先、山辺の道を歩いて行くと"廃仏毀釈で壊された・・"という廃寺跡を見ることになります。少し悲しくなります。

上手く撮影できませんでした・・
石仏です



言い伝えでは崇神天皇王朝の都〈磯城瑞離宮(しきのみずかきのみや)〉がここにあったとか。実在性の観点から、崇神天皇が初代天皇と考える学者も多くこの地が最初の都といえるかもしれません(あくまで言い伝えですが)。ここは訪れる人が少ないのか、手入れされていないのが残念です。

先に進むと平等寺がありました
お参りしてから先に進みます

山辺の道は大神神社境内を横切ります。
さすがは大神神社、平日なのに1月15日は賑わっています。拝殿前は人でいっぱい!

"大とんど"の日なので防火設備が用意されていました

大神神社の大とんど。小餅を焼いていらっしゃいました。この火で焼いた小餅を食べると病気にならないそうです。

山辺の道は大神神社境内を進み、荒魂を祀る狭井神社へと続きます。こちらにも丁寧にお詣り。日差しが暖かく感じられて気持ち良いので、このまま更に北に進みます。山辺の道を行けるとこまで行ってみます。

玄賓庵(げんぴあん)の前を通ります

雑誌等で紹介される"山辺の道"の石碑がありました。薄暗い林道の中、木漏れ日がスポットライトのように当たり幻想的でした。

狭井神社から10分ほどで檜原神社に到着。崇神天皇の時代、宮中から天照大神をお移しした最初の場所がここ。その後、場所を転々とし最後は五十鈴川沿いに落ち着きます。

注連縄柱の間から二上山が見えます
この神社境内は穏やかな雰囲気でお気に入りです
ここから見る夕焼けは有名、ぜひ一度見てみたい



「大和の青垣」
写真では上手く写っていませんが、葛城金剛山系から生駒山系を背景に奈良盆地東部の景観がとても美しい

山辺の道には歌碑がたくさんあります
万葉集を勉強して来れば、山辺の道の楽しさも
倍増しそうです

笠荒神の参道を横切り更に北へ。
その先、ルートから少し外れて相撲神社を目指します
途中に景行天皇纒向日代宮伝承地がありました
奈良盆地を見渡せて気持ち良い場所です
途中の無人販売所で買った草餅とミカンを食べて少し休憩

相撲神社に到着


こちらは大兵主神社。
今回は鳥居前で手を合わせただけで
山辺の道に戻りました。

狭い道ですが、ここも山辺の道。
ここで10人程の団体さんと対向してしまい
一度Uターン。

電柱に書かれた案内表示が
山辺の道っぽい

景行天皇陵が見えてきました。景行天皇は第12代天皇でヤマトタケルの父と伝えられます。4世紀の古墳としては最大クラスの規模。


お地蔵さんに手を合わせて、この先の無事をお祈りします

大和三山を見渡す絶景ポイント!

景行天皇陵の"飛び地"らしい

万葉集を知らないと山辺の道の楽しさは半分しかわからない!と知人にいわれました。古墳についても知っておかないと面白さは更に半減するかもしれません。

まだ、柿の実がたくさん残っていますね


崇神天皇陵といわれる行燈山古墳

長岳寺に到着。ほとんど高低差もなく、踏み固められた地道の部分が多いので足腰への負担は軽いですね。
大神神社へお詣りするのが今日の目的だったのに、気付けば長岳寺まで歩いて来ました。やはり山辺の道は楽しい。


長岳寺の山門前にいました。実に堂々としています。陽が西に傾いてきたので先に進むか悩みましたが、街道中央に居座って道を開けてくれないので今日はここまでとしました。