2020年4月1日水曜日

掲載誌のご紹介(CCCメディアハウス pen+[ペン・プラス])

● CCCメディアハウス様のpen+[ペン・プラス]にて当店をご紹介いただきました。

●雑誌pen+[ペン・プラス]はMOOK発行されているライフスタイル情報誌。今回のテーマは "『いまだから知りたい、古都の旅へ!』奈良カルチャー・クルーズ "と題し、奈良町と大和郡山、更に吉野、室生まで奈良県下を広く取材されています。

 今回、当店は飛鳥鍋を取り上げていただきました。通常、モミジが色づき始めた頃から東大寺修二会(お水取り)が終わる頃までのメニューですが、前日までに御予約頂ければ通年、出来るだけ御用意させていただきます。奈良にお越しの際は是非、ご用命下さい。






2019年2月27日水曜日

はり新の観光案内(東大寺二月堂から見える夕陽)

●もうすぐ東大寺修二会の本行が二月堂で始まります。二月堂の内部は修二会に特化した構造で、外側は(清水寺や長谷寺など観音を本尊とする寺院によくみられる様に)傾斜地にせり出すような建てられ方をしています。

 この二月堂西側、傾斜地の先は奈良盆地から生駒、葛城金剛山にかけて広く視界が開けていて、奈良では有名な夕陽スポットです。本行が始まると夕陽を眺めることができないので、カメラを持って二月堂まで行ってきました。
この時期、午後6時前に生駒山の南側に太陽は沈みます。
さて「お水取り」と呼ばれる東大寺の修二会。午後7時頃、御堂に登るお松明が主役と思われる方が多いのですが、修二会の本意は十一面悔過法による国家安寧を願うこと。


『お水取り』の内容については様々な本やサイトで解説されています。『修二会が始められた古代、世の天変地異は人間の悪しき行いに対する天罰と考えられていたので、選ばれた僧侶(練行衆)が荒行を通して十一面観音に許しを請うことにより世の人々を救うことができる、修二会はそのための国家行事』・・・・私なりの解釈です。

お松明は練行衆が二月堂に上がるための道灯りです。大切な事は、その二月堂内で執り行われる『十一面悔過法』、それは古代の様式に則り執り進められます。そのため、二月堂の堂中は言葉では言い表せない不思議で神秘的な空気に包まれます。お松明が終わった後、二月堂の"局"といわれる場所で聴聞することが可能です。

生駒山の向こう側に太陽が沈みました
薄っすら見えるのが大仏殿の大屋根



普段の二月堂は静かでとても良い所です

もうすぐ修二会の本行が始まるとは思えないほどの静けさ

昼間は春のように暖かいのですが、日が沈むと冷えてきます。少し寒くなってきたので奈良町に帰ることにします


帰りに立ち寄った興福寺南円堂もとても綺麗でした

2018年10月31日水曜日

はり新の観光案内(興福寺特別展 『再会 梵天・帝釈天』 @ 国宝館)

●中金堂再建に沸く興福寺では特別展が開催されています。享保2年の大火災から明治初期の神仏分離/廃仏毀釈、この混乱の時期に寺から流出した寺宝の中で「帝釈天」が期間限定で興福寺に戻っています。梵天や帝釈天が単独で祀られるのは希という事なので二尊が揃うのが本来のお姿。約110年ぶりの再会のようです。
梵天、帝釈天は国宝館にて拝観できます
袈裟の下に鎧を着ているのが帝釈天
(現在、帝釈天は東京の根津美術館所蔵です)

 ● 梵天・帝釈天は康慶門下の仏師・定慶作の様ですが、見比べてみると印象が全く違います。帝釈天の方が顔の彫りが深く、身体にも厚みがあります。しかし、離れたところから揃った姿をみると梵天、帝釈天ペアのバランスが良いんですね。これは二尊が並んでいるからこそ判ること、今秋奈良を訪れる方は国宝館に立ち寄られることをお勧めします。帝釈天を拝んだ後は、境内を少し散策。


国宝館を出ると落慶法要を終えた中金堂が眼に入ります。
大屋根の四隅に垂らされて幡が風に泳いで優美ですね。
金色の鴟尾も華やか。


金色に輝く風鐸と美しい幡。近くにいらっしゃった興福寺スタッフに聞くと、風鐸は邪鬼除けの目的もあり、風に揺られて鳴る風鐸の音が聞こえる範囲は聖域として護られているそうです。普段は気にしない部分ですが、意味を教えて頂くと他の建物も見てみたい!

この機会に他の風鐸を調べてみます
まず、最初は東金堂と五重塔
(写真は3年前に建設工事中の中金堂から撮影した東金堂と五重塔)

東金堂の風鐸

五重塔の風鐸
五重塔の風鐸は初層の四隅にだけ

五重塔が初層だけに風鐸を持つなら三重塔はどうでしょう
現在の興福寺伽藍で一番古い建物です

なんと三重塔には風鐸はありません


三重塔の反対側には南円堂
この八角堂はどうでしょうか


南円堂の風鐸
八角堂の屋根に八つの風鐸が吊されているようです

今度は北円堂に向かいます

北円堂の風鐸

最後は仮講堂

仮講堂にも風鐸がありました

なぜ三重塔だけ風鐸がないのでしょうか
すっかり陽が西に傾いてしまいました
梵天、帝釈天の特別公開もお勧めですが興福寺伽藍をジックリと観察することも面白いですよ。


帰り道、荒池の木々はすっかり秋の装いです
今年の奈良の冬は早く来るのかな

2018年10月24日水曜日

はり新の観光案内(ライトアップ 興福寺中金堂)

●興福寺中金堂は10月20日から一般公開が始まり、暫くの間(11月11日まで)は夜間拝観と同時にライトアップも楽しむ事が出来ます。当店玄関からライトアップされた中金堂の鴟尾がチラッと見えます。毎日気になって仕方ないので定休日を利用して夜間拝観とライトアップを楽しんできました。


猿沢池から五十二段を登り、五重塔の前を通り過ぎると左手に中金堂が見えてきました。平城京の大極殿に匹敵する大きな御堂ですが、夜に見ると更に大きく感じます。

入り口で拝観料500円を払うと一人ひとつずつカラー提灯を手渡されました。時間と共に色が変化するのが面白い。

中金堂を背景に提灯を撮影。
今までの興福地さんのイメージと違う色使い。
「こんなカラフルな趣向じゃなくてシンプルなライトアップが良かったなぁ」個人的な感想ですが、300年ぶりのお祭りなので
 まずは、中金堂に入り堂内を拝観させて頂きました。中央には眩しく金色に輝く木造釈迦如来坐像、その脇に薬王・薬上菩薩立像と吉祥天(厨子)、大黒天、これらを四天王(国宝)が護ります。また、中央の堂柱は"法相柱"として法相宗の教えを伝える祖師が描かれています。

 後から人が次々と入ってくるので、早々に御堂を出て中金堂を正面から鑑賞してみます。短時間で目まぐるしくライトの色が変わり華やかです。










薄雲の向こうに月が見えます。手前に見えるのが中金堂を照らし出す光源。五重塔もライトアップされていますよ。

西側照明の後ろには南円堂のシルエットが見えます
この優美な八角堂が大好きです。


2018年9月27日木曜日

はり新の観光案内(元興寺文化財研究所)

●先日、元興寺文化財研究所の見学会に参加してきました。文化財を調査・研究する施設としては "民間唯一" の研究所のようです。分析機器を見たり、実際の作業風景をガラス越しに見学できたりと、なかなか面白い90分でした。





●日本で最初に建てられた本格的仏教寺院は飛鳥にあった法興寺と言われます。今から約1300年前、その法興寺を奈良に移したものが「元興寺」で、現在は世界遺産として登録されています。 
 奈良時代には東大寺に次ぐ寺勢を誇った元興寺ですが、都が奈良を離れると徐々に衰退、中世以降は浄土信仰や地蔵信仰など庶民信仰の場として大切にされていました。しかし、その後の一揆や落雷などにより伽藍が失われていくにつれ更に衰退が進み、昭和初期には無住の荒れ寺になっていたそうです。  

 1943年、辻村泰圓氏により元興寺の整備復興が始まると極楽堂と禅室から約10万点にも及ぶ仏教民俗資料が発見されました。それらを調査・整理するために設立されたのが現在の「元興寺文化財研究所」、説明を聞くまで私も知りませんでしたが、"民間唯一"の文化財研究機関だそうです。

 1時間半の見学会でしたが、時間が経つのを忘れるほど内容の濃いものでした。ただ、写真撮影などには規制があるためブログなどのネット上でご紹介できる内容には限りがあることが残念です。(以下、見学会の概要のみのご紹介となります。チャンスがあれば是非、見学会に参加される事をおすすめします)見学会のお問い合わせは→元興寺 公式サイトへ でご確認下さい。

地図で場所を確認しておきます。地図の左上にはJR京終駅、地図の中央を縦に走る街道が上ッ道(上街道)、ここから北に15分ほど歩けば当店(はり新)があります。その上ッ道の南に元興寺文化財研究所があります。
研究所のある場所は"肘塚"と書いて"かいのづか"と呼びます。難読解な地名です。奈良時代の僧侶玄昉の伝説に因んだ地名です。


研究所のある場所は約20年前までテイチク本社工場のあったところ。当時テイチクに勤めていた人に聞くと、石原裕次郎氏や八代亜紀氏など昭和を代表する音楽家が多数、こちらの本社に出入りして、とても華やかな場所だったそうです。


展示されていた航空写真を見ると、この肘塚のすぐ北には若草山をはじめとする春日山系の山々、原始林が拡がりるのがわかります。


昔の地図が展示してありました。現在の奈良女子大の場所には奈良奉行所、その南側に興福寺、さらにその南側に元興寺があります。その辺りから南に伸びる道が上街道(上ッ道)で、道を南下した先に研究所のある肘塚があるのが判ります。

当店を出て上ッ道を南下します。約15分あるけば肘塚到着。研究所に入ってすぐ左の建物に入ります。

「ルーパ館」と書いてありますね
サンスクリット語で「形ある物」という意味だそうです



ルーパ館1Fの部屋に入って受付を済ませます。この室内には数種の展示物とガラス越しに分析機器が並びます。実際に職員さんが作業されていました。

こちらの分析室は撮影可能なので一通りカメラに収めました。この部屋以外は、写真撮影はできますがSNS等への投稿は禁止されています。研究対象物の大部分が預かり物で、所有権が元文研にはないので勝手に写真をネットに上げてもらっては問題になるそうです。撮影できたのはまず、電子顕微鏡(エックス線分析ができるEMAXが付いています)。

SEM-EMAX の隣にもエックス線分析装置が並んでいます。左側が粉末X線回折装置(XD)、右側が蛍光X線分析装置(XRF)。これらの組み合わせにより無機化合物の同定と定量が可能。壁画の彩色(顔料成分)の分析などにも役立ちます。

こちらは置換材のサンプル。地中から発掘された木製品はそのまま置いておくと乾燥が進み、変形や割れてしまう危険性があります。それを防ぐのに木製品中の水分を合成樹脂等で置換する方法はとても有効だそうです。どの置換剤を使ってどのような条件で処置していくのか、研究施設の腕の見せ所。

建物の屋上にて周囲を説明していただきました
こちらは北側の風景。興福寺五重塔や奈良県庁、ならまちが見えました。

こちらは南西方面。生駒山系、矢田丘陵、二上山、葛城金剛山系が見えます。

研究所の研究成果を簡単にまとめた物が展示されていました。巨石運搬用の橇(修羅)をPEG含浸法による保存に成功したことなど、数々の実績が判りやすく書き記されています。元興寺文化財研究所のHPと対比してみるとさらに良くわかります。→元興寺文化財研究所HP「沿革」へ

●奈良県内には元興寺文化財研究所の他に、奈良文化財研究所、橿原考古学研究所など世界トップレベルの文化財研究機関があります。最後に元興寺文化財研究所の強みをスタッフに聞いてみましたが、こちらはオールラウンドに各分野に対応できる柔軟性が特徴のようです。