2017年1月31日火曜日

はり新の観光案内(二月堂の夕暮れ)

● 夕暮れ時に東大寺二月堂に行ってみました。修二会も近付いてきましたが、真冬の二月堂は観光客も少なく、素晴らしい夕陽を独り占めできました。





生駒山のうしろに微かにみえるのは六甲山でしょうか







2017年1月28日土曜日

はり新の観光案内(第2回キトラ古墳壁画の公開 玄武)

●第2回キトラ古墳壁画の公開(玄武)の応募に当選しましたので明日香村まで行ってきました。1時間で館内見学を済ませる予定でしたが、3時間たっぷりと時間をかけて古代を満喫することができました。初めて見た実物の壁画(玄武)は想像より小さいものでしたが、細かい部分まで丁寧に描かれていることと現代まで奇跡的に色が残っていることに感動しました。また、鎌倉時代の盗賊が残していった燈明皿も展示されていて驚きました。


●こちらの建物はキトラ古墳の極彩色壁画を保存・公開することを目的として2016年9月にオープンした新しい施設です。四半期毎に期間限定で本物の壁画を見ることができます。壁画の見学は事前申し込み制で希望者が多い時は抽選となるようです。冒頭「応募して当選したので‥」と書きましたが、平日は定員に満たない時間帯もあるので応募すれば見学できる可能性は高いと聞きました。当日窓口で空きがないか聞いてみるのもいいと思います。
国営飛鳥歴史公園に含まれるキトラ古墳壁画体験館四神の館。地上階で実物の壁画を展示、地階が無料の展示スペースです。近鉄飛鳥駅から徒歩25分ほどかかりますが、壺阪山駅からだと徒歩15分ほどの距離です。当店からは車で1時間ほどの距離。

 1983年、ファイバースコープ調査によりキトラ古墳石室内壁に描かれた壁画が発見されました。奈良県内では結構大きなニュースになったと記憶しています。その後の調査で石室内には四神(青龍、朱雀、白龍、玄武)、十二支、天文図、日月の壁画が発見されました。四神の図像がすべて揃う古代壁画は日本ではキトラ古墳だけ、天井に描かれた天文図は現存する最古の本格的天文図として有名です。

 しかし、もともと壁画を描いた漆喰層が剥がれ落ちそうな危険な状態である上に、発掘による石室内環境の激変により壁画にカビが発生して緊急に対処する必要がありました。遺跡は現地保存が原則のようですが、キトラ古墳に関しては例外として奈良文化財研究所が中心となり、新たな技術の導入など試行錯誤の結果、無事に壁画を取り出し最適な状態で保存することに成功したそうです。


展示スタッフの説明では、湿度約100%の
石室内にさらされた漆喰は生クリームのような
状態だったそうです
写真では見えにくいですが手前にあるのがダイヤモンドワイヤーソー。もともと採石場の岩盤や建設現場の鉄筋コンクリートを切断するのに使用されるものです。


 そのような理由で展示スペースの一部分は壁画の取り外しと保存のための記録展示となっています。壁画取り外しの前処理、ダイヤモンドワイヤーソーなど異分野の機材を転用して漆喰層の剥離、テラヘルツ波を用いた壁画と漆喰層のスキャニングなど失敗の許されない状況下で少しずつ作業は進められたのがわかります。展示を見ていると壁画のことをもっと知りたくなりました。壁画に使用されている色材の分析手法と結果など、壁画そのものについての研究結果も展示して欲しいと思いました。

 現代の科学技術が古代遺産の保存・研究に役立っていることに知り素直に嬉しくなりました。壁画を描いたのが渡来人一族であったとの研究結果も展示されていましたが、それはまた別の機会にご紹介させていただきます。


●(キトラ古墳と高松塚古墳壁画の色材(顔料)についての研究資料をインターネットで見つけました。興味のある方はどうぞ → キトラ古墳壁画の顔料について

キトラ古墳の石室は二上山から運ばれた凝灰岩で作られていますが、この凝灰岩の上に漆喰が塗られています。漆喰を塗る前と塗った後の違いを実際に触れて確かめることができます。漆喰表面は綺麗な淡黄白色ですべすべした手触りなので、これなら繊細な絵を描くこともできそうです。

キトラ古墳は丘陵の南側に作られた二段築造りの円墳。外観はまるで麦藁帽子かUFOの様です。キトラ古墳は終末期古墳(7世紀末〜8世紀初頃)と考えられ、この時代はすでに「薄葬化」の時代です。古墳の規模も小さく内容も簡素になり棺も石棺から木棺へ変わります。副葬品も内容量が少なくなります。

展示室入り口すぐ左側に実物大の石室を再現したものがありました。今にも崩れそうな東側壁面もリアルに再現されています。高さ1.2m、幅1.0m、奥行2.4m、思ってた以上に狭い印象。狭い石室内で壁画を描くのも大変な作業だったと思いますが、壁画を剥がした現代の技術者も大変だったことでしょう。







高松塚古墳との違いを表にしてありました

壁画と並んでキトラ古墳で素晴らしいところは天井に描かれた天文図、
これはその天文図をイメージ化したもの。キトラ古墳の天文図は、現存する最古の本格的天文図と言われます。

こちらは、今回特別公開された北壁「玄武」をデジタルアーカイブスキャニングで
取り込んだもの。モニター上で最大56.2倍まで拡大して見ることができます。

青龍の画像
白虎の画像


シアタールームでは「発見!キトラ古墳」「飛鳥の歴史的風土の保全」
「渡来人がもたらした飛鳥文化」の3本の映像を観ることができます。
短くまとめられていてわかりやすかったですよ。


壁画公開は事前予約制であったり、直前に警備員さんからの注意事項の読み上げがあったりと
少し堅苦しい部分もありましたが、入り口にはこんなゆる〜い掲示もありました。





こちらが本物のキトラ古墳。新たに二上山から
切り出された二枚の凝灰岩で石室入り口は閉じられ、
埋葬当時に近い状態で保存されています。








2017年1月24日火曜日

はり新の観光案内(ガン封じ、笹酒まつり@大安寺)

●毎年1月23日には大安寺にて光仁会(ガン封じ、笹酒まつり)が執り行われます。今年の23日には参拝することができました。

●大安寺については当ブログでも何度か取り上げさせて頂きました。元々は飛鳥宮において絶大な力を持った大官大寺が平城遷都に伴い現在の地に移ってきたもので、奈良時代には東大寺、興福寺と並ぶ壮大な伽藍を持つ寺院でした。しかし、1300年という時の流れの中で寺の規模は縮小し現在、境内の大部分は住宅地と変わってしまいました。

 毎年1月23日に執り行われる「光仁会」とは桓武天皇が文武百官を伴い、先帝光仁天皇の一周忌を大安寺で行った故事にちなむ行事です。光仁天皇は大安寺の竹林にて浄竹を伐り酒を注いでお召しになり、当時としては珍しく73歳まで在位されたということです。この帝にあやかって1月23日に境内でふるまわれる笹酒にはガン封じの薬効があると信じられています。

 この日の奈良市は最高気温が4℃、奈良の冬は底冷えして気温(数字)以上に寒く感じることで有名ですが、この寒さの中、朝早くから大安寺にはたくさんの参拝客が詰めかけていました。

まずは受付で拝観料500円を払います

拝観料を払うとパンフレットと竹猪口を頂きます。自然の竹を切り出しているので猪口の大きさは大小いろいろあります。
本堂前はご祈祷を望む人々で混雑していました


本堂の横を歩いていくと笹酒を頂けるコーナーがありました。笹娘がひとりひとりに笑顔で笹酒を注いでくれます。お酒を飲めない人は笹水をいただけます。

この後、車を運転するので笹水をいただきました。青竹に入れて焚き火で温めているので、ほんのりと竹の香りがする美味し水でした。

笹酒コーナーにいる少しの間に参拝客が更に増えていました。本当に寒い日なのに皆さんお元気です。竹猪口を頂いたら参拝を後にして、まず笹酒!という感じの方もいらっしゃいました。

当日は特別に讃仰堂も解放されています

当日は近くのビッグエクストラ大安寺店の駐車場が臨時駐車場として利用できます。ビッグエクストラ大安寺店からは案内版があるので、道に迷うことはないでしょう。

はり新の観光案内(奈良 大立山まつり、今年は26日から)

★ 以下のブログは2017年1月の内容です。2018年は1月26日(金)〜28日(日)の日程で開催されます。1月27日(土)は若草山山焼きと一緒に大立山まつりを楽しめますよ。ムチャクチャ寒いと思いますので目一杯着込んでお出かけください。


● 1月25日(水)から平城宮跡で、「奈良 大立山まつり」が開催されます。圧倒的迫力の四天王の大立山や、県内各地の伝統行事が一堂に会します。23日(月)夕方にはすでに四天王の大立山が立ち上がっていましたのでカメラに収めてきました。(奈良県内各地には、江戸時代の頃から「造りものを身代わりとして、厄を落とす」という風習があり、それを「立山」と呼んできました) → 奈良 大立山まつり公式HPへ


写真中央は大極殿、その右側に多聞天の立山が見えます

多聞天の立山と大極殿。大極殿が大きいので多聞天の大きさがわかりづらいですが、その高さは7m強!

当日は立山の中に灯りがともります


立山の後ろもいいですね。四季のイメージ画が描かれています。広目天は秋。

増長天の後ろには夏のイメージで花火でしょうか





大立山と同時に楽しみたいのが県内市町村が工夫を凝らしたご当地グルメの「あったか食」。当店は祭会場には出店しておりませんが、奈良町で飛鳥鍋をご用意しております。
当日は立山に灯りがともされますが、夕陽を背にしたシルエットだけの立山(増長天)も迫力があります


大極殿前から生駒山系に沈む夕陽が見えました。ここから西の山々を拝むとを視界を遮るものは何もありません。 25日の開催が楽しみです。

2017年1月19日木曜日

はり新の観光案内(日本最古の厄除霊場 松尾寺)

●「日本最古の厄除霊場」松尾寺をご紹介。日本最大の役行者小角像と日本最古級の大黒天立像は迫力満点です。

●松尾寺は生駒山地と並行して南北に伸びる矢田丘陵の南端に位置します。奈良盆地から松尾寺へ向かう県道123線はこの辺りでは急勾配の登り坂として有名で、真冬の早朝には凍てついた道路を登れない車もみられるとか。公共交通機関で松尾寺に向かうにはバスを利用しますが、最寄りのバス停からでも30分ほど坂を登らなければなりません。これだけ読んでいると気軽に行けるお寺ではないと思われますが、年始には厄除けを求める大勢の人々で境内は賑わいます。「日本最古の厄除霊場」として絶大な信頼を得ているお寺だと分かりますね。

 松尾寺は天武天皇の皇子・舎人親王が養老2年(718年)に42歳の厄除けと「日本書紀」編纂の完成を祈願して建立され、室町時代以降は修験道当山派の拠点としても栄えました。修験道の開祖、役行者ゆかりのお寺でもあります。私が松尾寺に行った時も山伏姿の方が、古い御札などを豪快にお焚き上げされていました。荒々しい山肌と悶々と立ちのぼる煙を見ると、奈良町周辺の寺社とは明らかに違う雰囲気を感じました。

 役行者は実在の人物で舒明天皇6年(634年)、今の奈良県御所市あたりで生まれたとされます。山伏修験道の開祖であり、日本国内の仙人伝説はこの人を元に作られている事が多いそうです。山岳信仰を突き詰め、自ら興こした戒律を守り抜いた人だったのでしょう。松尾寺にはこの役行者小角像が祀られていますが、その大きさから来る雰囲気には圧倒されます。堂内の光の加減でしょうか、他の仏像とは明らかに違う威圧感を感じます。これは電気の無かった時代に堂内の燈明だけで拝見したら、ただならぬ雰囲気を感じそれを霊力と表現する人が居たとしても不思議ではありません。是非、一度お立ち寄りください。(なお、役行者小角像は9月1日から10日までの限定公開です)
こちら役行者像は9月上旬のみの公開

松尾寺は厄除け、役小角像の他に国内最古級の大黒天さんに会えることでも有名です。こちらは福岡の観世音寺に次いで古い大黒天像だそうです。厳しい表情が印象的です。大黒天は元々ヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラがインド仏教に取り入れられて「大黒天」と漢訳された憤怒相の護法善神。鎌倉期以降は大国主神と習合して現在のような福徳相になったそうです。

✳︎ 役行者像、大黒天立像、は松尾寺HPより拝借しました。