2017年4月29日土曜日

はり新のお料理(三輪素麺の技術が産んだ「全粒粉入り素麺」ベル・ブラン)

●全粒粉入り素麺『ベル・ブラン』、新しいタイプの素麺が誕生したというので試食してみました。

全粒粉入り素麺『ベル・ブラン』、明らかに素麺とは色が違います。淡黄褐色の素麺に小さな粒々が分散しているのがわかります。手触りもザラザラしています。

●奈良県三輪地方は「手延べ素麺発祥の地」と言われ、三輪で生産される素麺は”三輪素麺”のブランド名で有名です。素麺は織姫の糸になぞらえたもので、江戸初期までは2メートルもの長いままで大変苦労して食べたそうです。幕末の画家 河鍋暁齋が、長い素麺を食べる滑稽さを描いた画を残しています。(奈良新聞社「出会い 大和の味」より引用)

 細くて長い素麺は「平安期の宮中七夕に使用された」とあり、大宮人は麦縄またはゾロ、ゾロゾロなどと呼んでいて七夕に食べる素麺は年中行事になっていきました。この日に素麺を食べると病気にならないと言われ、祝い事にも用いられたようです。

 その三輪素麺の伝統技術と厳選素材をつかって新たに作り出されたのが ”全粒粉入り素麺『ベル・ブラン』”です。開発者の中垣製麺所さんのHPを拝見すると、ベル・ブランは和カフェ「布穀薗」さんとのコラボ商品。最大の特徴は全粒粉を使用しているため、小麦本来の豊かな味わいが楽しめること。しかし、全粒粉はグルテン形成を阻害するのでコシの強い麺を素麺のように細く作り上げるのは難しいと聞きます。試食のポイントは"コシ" "喉越し" "香り"でしょうか。

 新商品のためか、奈良県下でも販売所が極限られています。しかし、新しいタイプの素麺と聞くと味を知りたくて早速ベル・ブランを購入して調理しました。


→ ベル・ブランの詳しい情報はこちらから



サッと湯がいただけ。蕎麦のような外観。ですが、食べてみると確かに素麺の仲間ですね。力強いコシがあります。美味しい! 喉越しと香りは素麺と若干異なりますが、決して悪いわけではありません。その違いを利用すると素麺以外の料理に使えそうです。

素麺と同じ食べ方でも美味しいのですが、飛鳥鍋のシメにベル・ブランを入れてみました。飛鳥鍋の牛乳、味噌とよく合います。来期の飛鳥鍋のシメにベル・ブランを使っても面白いですね。

ベル・ブランを使ってレシピ開発をされた方のwebページもあります。 →レシピのいらない料理術へ 〈こちらのサイトは面白いですよ〉「和」でも「洋」でも使えるベル・ブランの使い方はアイデア次第だと思います。

2017年4月21日金曜日

はり新の観光案内(若草山登山)

●社寺巡り以外で奈良の楽しみ方をひとつご紹介。近鉄奈良駅から近く、気軽に登山を楽しむことができる若草山登山はいかがでしょうか。入山ゲートから30分ほど歩くと、山頂から奈良の街並みを眺めることができます。東大寺伽藍を上から見ることもできますよ。

手向山神社の東側には若草山入山口の案内があります

●近鉄奈良駅から地上に出ると駅前通(大宮通り)の先で芝生に覆われた若草山が迎えてくれます。高さ342m、広さ33ha、山全体が芝生でおおわれており、三つの笠を重ねたようなので三笠山とも呼ばれます。山の西側には奈良の街並みが広がり、すぐ南には霊峰・御蓋山(みかさやま)、東には春日山原始林を見ることができます。また、若草山の夜景は新日本三大夜景のひとつに数えられ、新しい人気スポットとして再認識されています。新春の山焼きで有名な若草山ですが、その芝は日本の固有種「ノシバ」で、近畿では若草山が唯一の自生地です。

 若草山は、なだらかな三つの山が連なった形で手前の低い山から一重目、二重目、三重目と呼び、三重目の頂を若草山山頂と呼びます。山頂に行くには登山道を登る他、 車でドライブウェイを通る方法もあります。登山といっても30〜40分もあれば山頂に辿り着けるので、奈良市内の小学生は遠足で登った経験があります。

 たった30〜40分の登山ですが、山頂からの眺めは素晴らしく、夕暮れ直後のマジックアワーに夕陽と鹿のコラボ写真を狙うカメラマンも大勢見かけます。

 以下、写真にて若草山登山をご紹介させて頂きます。(9月中旬、南ゲートから入山した記録です)


  • 大仏殿前から東に歩いて春日大社駐車場前を通過すると写真の様な分岐点にでます。左右どちらの道からでも若草山登山口に辿り着けます。ここまで近鉄奈良駅から徒歩約30分、登山口まではさらに5分ほどです。

東大寺二月堂、三月堂が近くにあります。
是非、立ち寄っていただきたいと思います。

「若草山開山中」と確認できます(若草山の開山は3月第3土曜日から12月第2日曜まで)。こちらは大ざっぱな地図ですが、若草山と東大寺、春日大社、奥山原始林の位置関係を見ておくと良いと思います。

写真撮影の時は南ルートで登りました

若草山登山には入山料が必要です。ここで登山ルートの簡単な説明を聞くことができます。

150円の入山料を払って南ゲートから入りました
南ゲートを入ったところから見た若草山。芝の色と雲と空の色が気持ち良いですね。


南ゲート近くには草野姫命が鎮座する野上神社があります。1月に執り行われる「山焼き」の前に参加者一同が参列して、山焼きの無事終了を祈願する神社です。

 野上神社の隣に鎮座するのは石荒神社。春日大社御造営の際に陰陽師がお祓いした場所で、火産霊神を祀ります。

入山南ゲートから一重目山頂までは階段が続きます。若草山登山で一番大変なのはこの階段です。一重目まで登ることが出来たら、その先の山頂まで比較的容易に登ることが出来ます。

若草山一重目から南を向いて撮影。写真中央は春日霊峰、御蓋山(みかさやま)。若草山は三笠山(みかさやま)とも呼ばれるので、三笠山(みかさやま)と御蓋山(みかさやま)が並んでいることになります。ややこしいです。

登山道には所々に石碑があります

東大寺旧境内境界をしめす石碑がありました

二重目から西向きに撮影しました。手前に小さく見えるのが東大寺大仏殿の大屋根。その先に奈良市の街並み、さらに先には平城京跡が見えます。写真奥に見えるのが大阪府との県境、生駒山。

所々に消火用の貯水缶があります

山頂にある鶯塚古墳、古墳時代中期の前方後円墳です。清少納言の枕草子にある「みささぎはうぐひすのみささぎ、かしはぎのみささぎ、あめのみささぎ」の「うぐいすの陵」とは、この鶯塚古墳と考えられています。


30分少し歩いただけですが、奈良盆地を一望できる景色に嬉しくなります。遙か遠くに連なる山々は多武峰、三輪山、金剛山、葛城山、生駒山、いにしえの人々が眺めた景色と同じ山並みです。

 奈良公園と若草山では鹿の群れが異なります。奈良公園にいる鹿は人に触れられても逃げることはありませんが、若草山の鹿は人間との間に一定の距離を保ちます。風景と一緒に鹿を撮ろうしても警戒して逃げてしまいます。山頂付近には滑りやすい急斜面もあるので、鹿を深追いしてしないでください。

帰りは北ルートで下山しました。
一重目から右に下ると北ルートです。

北ルート途中から大仏殿を間近に見ることができます。大きな建物ですね。奈良時代には今の何倍も大きな大伽藍が拡がっていたと想像するとワクワクします。

南ルートは階段続きでしたが、北ルートは緩やかな坂道が続きます。

出口専用ゲートから出ましょう。山頂でゆっくり休憩してもトータル2時間程の登山ですが、出口ゲートを通るときは日頃のストレスが吹き飛んで清々しい気分になっていることでしょう。


2017年4月10日月曜日

はり新の観光案内(JR東海の奈良観光キャンペーン「うましうるわし奈良」)

●JR東海の奈良観光キャンペーン「うましうるわし奈良」奈良観光モデルコースのなかで当店を取り上げていただきました。 → JR東海「うましうるわし奈良」サイトへ



●今回、こちらのコンテンツを制作されたのはEditZ(エディッツ)さん、雑誌「ならめがね」や「奈良 とっておきの上等なランチ」の他、奈良まほろば館イベント「平城京と祈りの三古寺」をプロデュースされた会社です。かつて、奈良のイベントPRというと洒落っ気のない木訥としたポスター一辺倒でしたが(それもそれで奈良らしいのですが)、EditZさんが手掛けられてから芸術性の高いPRに変わりました。

 是非、JR東海を御利用頂き、奈良にお越しください。

2017年4月4日火曜日

はり新の観光案内(飛鳥資料館と山田寺跡)

●明日香村にある「奈良文化財研究所 飛鳥資料館」、そして山田寺跡をご紹介。飛鳥時代が好きな方には堪らない展示内容ですよ。


●奈良盆地を南北に走る古道・上ッ道を南に進むと大神神社の前を通過して山田寺跡に続きます。この山田寺跡のすぐ近くにあるのが「奈良文化財研究所 飛鳥資料館」。橿原神宮前駅からレンタサイクルを利用して行くのも良いと思います。

 通常は1時間ほどで見学できると展示内容だと思いますが、飛鳥時代好きの私には3〜4時間ジックリと時間を掛けてトコトン古代を堪能できる大好きな資料館です。このブログで全てを紹介するとキリがないので、ここでは極簡単にご説明させていただきます。

 7世紀頃、日本の文化・政治の中心であった飛鳥には今でもたくさんの遺跡が埋まっています。飛鳥資料館では発掘資料を中心に、飛鳥研究の成果をわかりやすく展示されています。資料館のエントランスを通るとまず、「亀石」「猿石」のレプリカが迎えてくれます。飛鳥地方には斉明天皇の時代に作られたと思われる石像物がたくさんありますが、用途の判らないものも多く、ミステリアスな時代という印象を受けます。

 資料館の館内は大きく二つに分けられ、第一展示室では万葉集、宮殿、石像仏、古墳、寺院の5テーマについて展示されています。そして第二展示室は古代の寺院「山田寺」の発掘成果について判りやすく説明されています。

 第一展示室は、各テーマを更に政治、豪族、文化についてカテゴリーを絡めてまとめられています。川原寺や大官大寺・・、とてつもなく大きな大寺院が礎石だけを残して消えてしまった事が勿体なく、悔しいですね。

 一方、第二展示室は山田寺の研究成果の展示のためだけに用意されています。これには理由があって、奇跡的に原形をとどめた状態で発見された山田寺東回廊は古代建築の貴重な貴重な資料でした。しかし、それは今にも崩壊しそうな木造建築部材を回収、保存するという難題と奈良文化財研究所の戦いでもあったようです。そのため第二展示室は、この一連の研究と保存作業の説明にスペースを割かれています。 

 正直なところ、第二展示室は "ポリエチレングリコール含浸法" など多少、科学的な知識があるほうが楽しめる内容でしたが、第一展示室については多少の予習をしていけば充分に楽しめる展示だと思います。


 エントランスでは亀石が迎えてくれます。明日香村川原にある実際の亀石の説明書きによると『かつて奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の當麻の蛇と川原のナマズの争った結果、當麻に水を吸い取られ川原辺りは干上がってしまい、湖の亀はみな死んでしまった。亀を哀れに思った村人達は「亀石」を作って亀の供養をした』そうです。
 更にこんな言い伝えもあります。「(現在、南西を向いているが)亀石が西(當麻)のほうを睨み付けると奈良盆地一円泥の海と化す」と。これらの話は、かつて奈良盆地一帯が湖の底であったという「奈良湖」伝説と一部一致するところが面白いですね。


飛鳥宮のジオラマには当時の最先端技術、水時計の模型がありました。水時計の解説がありましたが、実に繊細な仕掛けです。

水時計は釣鐘と組み合わせて飛鳥京に時刻を伝えていたようです


 現在の山田寺跡。山田寺は蘇我倉山田石川麻呂(蘇我入鹿のいとこ)が建て始めた寺院でした。石川麻呂は蘇我入鹿殺害クーデタに加わり右大臣に任ぜられましたが、のちに反乱の疑いを掛けられてこの寺で自害しました。その後、彼の疑いは晴れて皇室の援助で寺の造営は続けられて7世紀後半には完成しましたが、次第に衰退して歴史から姿を消してしまいました。


 国宝銅像仏頭のレプリカです。仏頭は現在、興福寺に保管されていますが、もともとは山田寺講堂本尊と考えられています。それを文治3年(1187年)に興福寺の僧たちにより移されたとか(奪われたという話も聞きました)。平重衡の焼き討ちで焼失してしまった興福寺東金堂の本尊がどうしても必要だったようです。かつて山田寺は金堂(正面三間、奥行き二間の二階造りで中心に半丈六の中尊、その右に金銀の三尺立像と石川麻呂の肖像)、三間四方の五重塔と正面八間の講堂(堂内には丈六の薬師如来像と日光・月光の両脇侍、および十一面観音像)という伽藍の大きなお寺でした。

 
 復元された山田寺東回廊の一部。倒れた回廊が土の中で千年近くその姿を奇跡的に残していました。しかし、長い時間、水につかっていた木製建築部材をそのまま取り出すと乾燥により変形や崩壊の恐れがあるため奈良文化財研究所はPEG(ポリエチレングリコール)を水と置換するという手法を採りました。それは15年がかりという壮大な作業だったようです。

飛鳥時代、発掘調査に関する文献を自由に閲覧できます。
この本棚の前だけで1日は過ごせます(笑)

 現在、ここには大化山山田寺観音堂が建っています。予備知識がないと芝の生えた空き地とみえるところですが、蘇我倉山田石川麻呂や飛鳥時代のことを知ってここに来ると色んな事が想像できます。