高鴨神社 本殿前。一般に総本宮といわれる神社では、大きな境内、大きな鳥居と立派な本殿に圧倒されることが多いのですが、こちらの神社のそれらは決して大きくありません。しかし、本殿周辺の凛とした空気から神域にいる事を強く感じられてとても素晴らしい空間です。猛暑日に参拝したのですが、風が通り抜けてとても気持ちの良い境内でした。 |
かづらき煌ネットワーク作成のパンフレットによると、この周辺は
『葛城と河内にまたがる金剛・葛城の山々は、神が宿る聖なる山として古代から人々に崇敬され、多くの神話や古代史を今日に残しています。今から12,000年前(縄文海進の頃)葛城の東の巨勢山との間に大阪の河内湖に連なる湖があり、山の幸や海の幸に恵まれ、古代葛城は豊かな文化を持っていたと伝えられています。この事が後の葛城氏や鴨氏の隆盛につながる素地となっていたのだと思われます。』と説明されています。
ここはかつての大豪族 鴨氏が誕生した地。鴨氏は早い時期から高度な製鉄技術を有したそうです。また、天体観測を行い暦を作ることにより効率的な耕作方法を確立し、薬草を取り扱う薬学の知識も持ち合わせていたそうです。
のちに日本最古の胃腸薬(陀羅尼助)を生んだ修験道の開祖 役行者も鴨族の出身だそうです。陰陽師 安倍晴明の師 賀茂忠行も鴨族の出身だそうです。
その鴨氏が弥生時代中期に阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)を祀ったのが、この高鴨神社の始まりだとか。
この神社の西側には金剛山が迫り、金剛山の麓には「古事記」で神々が住まわれる天上界 "高天原" のモデルとも考えられる台地が拡がります。
高鴨神社に参拝できた日は、大気の状態が非常に不安定な日でした。雲の切れ目から青空が見えていても、すぐに金剛山を越えた黒い雲に覆われて、さらに雲の切れ目から日が差し込んできて。これらの光景を見ていると、古代の人々が此の地に神がかった感情を抱くのも少し理解できました。
とても歴史のある神社のようです |
茅の輪が用意されていました |
神社境内から鳥居と茅の輪を眺めてみました |
こちらの神社では夏越しの大祓式は旧暦で執り行われるようです。先日、大神神社で茅の輪をくぐらせていただいたのですが、(念のため?笑)こちらの茅の輪もグルグルと何度かくぐっておきました。 |
★ 後日ご紹介予定の高天彦神社は史跡 高天原の近くに
ある神社です。高天彦神社に神職の方は常駐されていま
せんので、御朱印は高鴨神社でいただく事になります。
0 件のコメント:
コメントを投稿