2017年7月21日金曜日

はり新の観光案内(特別公開;東大寺の大湯屋)

●東大寺で初公開の大湯屋と鉄湯船を拝見してきました。鎌倉時代の東大寺再建に一役買った施設のようです。こんな建物があるとは全く知らなかったのですが、ボランティアさんの丁寧な説明を聞きながら当時の情景を思い浮かべることが出来ました。

●現在、東大寺ではJR西日本キャンペーン「ちょこっと関西歴史たび」として重要文化財「大湯屋」が公開されています。大湯屋には、俊乗房・重源の命で鋳物師の草部是助が建久8年に作った大きな鉄製の湯船(重要文化財)が据えられています。

 南都焼き討ちで大打撃をうけた東大寺、鎌倉時代にその再建を支えた人々がサウナのように利用したと考えられているそうです。しかし、そもそも湯屋には"みそぎ"として"身を浄める"場として大切な役目もありました。

 大湯屋の公開は今回が初めての事で、次はいつ公開されるのか全く未定とのこと。ボランティアさんの説明がとても丁寧なので、当時の様子を想像することが出来ました。(同時に重源上人の坐像(国宝)も7月31日まで特別に公開)
こちらが重要文化財の鉄湯船(鎌倉時代)
実際は写真で見るよりもっと重量感があります
表面は腐食がすすんでいるように見えますが、約900年前に作られた鉄湯船です。この程度の腐食で留めているのは大切に大切に扱われてきたのではないでしょうか。
1197年に作られた鉄湯船は直径230cm、
高さ73cm、重さ1690キロ、容量は2キロリットル。現代の一般的なバケツで250杯の水が入る計算になります。
鉄湯船は唐破風で装飾された風呂屋形に納められています
肉眼ではほとんど見えませんが、表面には
銘がきざまれているそうです
現在は井桁の上に乗せられていますが、本来は土間に掘り込んだ穴に埋め込まれていたそうです。底には排水のための穴があるそうですが、大湯屋の下にはどんな下水設備があるのか質問してみましたが判らないようでした。
木壁一枚隔てた別室でお湯を沸かして運んだらしいです。こちらで薪を燃やして沸かした湯を桶で運んだのでしょうか。


大湯屋は鐘楼の北側、階段を下ったところにあります  
公開は7月31日まで。俊乗堂での解説がとても面白くてとても勉強になりました。重源さんのイメージが全く変わりました。(どう変わったのかここでは記しませんが・・、それぐらいの大胆な人物でないと東大寺復興は果たせなかったと思いました)

大湯屋を横から見ると意外と奥行きがあります
 湯船で水を湧かす必要がないのなら鉄で作る必要はないのにどうして鉄湯船なんだろう。疑問だったので調べてみると、鉄製の風呂(五右衛門風呂など)は鉄に蓄えられた熱のために冷えにくいのが特徴らしいです。また、使いこんでいくと酸化皮膜が鉄を保護してくれてサビを抑制してくれるそうです。



2017年7月7日金曜日

はり新の観光案内(古代の街道 下ツ道を歩く その2)

●下ツ道を歩く第2回目 梅雨入り直後の青空の下、笠縫駅から北を目指した記録です。今回はあまり時間がなかったので笠縫駅から近鉄線3駅分ほど北上の予定、出来たら途中で唐古鍵遺跡(弥生時代の環濠集落遺跡)に立ち寄りたい。

空は真っ青、街道ウォークには最高の天候。笠縫駅から歩き始めて川沿いの道を北にすすみます。振り返ると標識に下ツ道」の文字。今から思えば下ツ道は北上するのでなく南下して橿原神宮をゴールにすればよかったと思いました。「あと何km」って表記が「もうすぐゴール」って気分を盛り立ててくれそう。

下ツ道は中世に整備され、それ以降は「中街道」と呼ばれるようになります。もうすぐ田原本。

田原本エリアに入ります。下ツ道は都市整備などで道が分断されたり移設された部分が多く道に迷う区間が数多くありますが、八木〜田原本間では道が直線的な上、「下ツ道」の表記が数多くあるので何の心配もなくズンズン先に進めます。

田原本の中心部に入りました。昔の幹線道路沿いらしい立派な建物が並びます。空は真っ青ですが梅雨の最中なのでかなり蒸し暑く感じます、早速ペースダウンです。

南北にまっすぐ伸びる道。下ツ道の道幅は全体的にこんな感じです。上ッ道もそうでしたが、下ツ道沿いにコンビニはほとんどありません。笠縫駅で買ったスポーツドリンクをチビチビと大切に飲みながら歩きます。


虫籠窓が良い雰囲気を出しています。鍾馗さんがいらっしゃいます。田原本には立派な建物が多い。良い街並みです。

何年前に建てられて、どんな商売をされてきたのか、
どんな歴史があるのか・・、等々。気になります。




近年造り替えられた石碑のようです


常夜灯があるのでこのまま北上したいのですが、
進んでみるとどうも違う。
左右の道を探してみると一本東側の道が下ツ道らしい。

所々、電柱には下ツ道標識があります。
「←平城京 藤原京→」
大ざっぱな道案内が嬉しい

軒が大きく波打ってますね。
古い建物は維持にお金と手間がかかります。この辺りで一度休憩したいと思いましたが、唐古鍵遺跡でゆっくり休みたいのでこのまま北上を続けます。

この辺りの道路には「唐古鍵遺跡」のマークが埋め込まれています。唐古鍵遺跡は、平成11年に国の史跡に指定された弥生時代の環濠集落遺跡です。楼閣がランドマーク。


田原本町役場近くの標識で現在地を確認します。ここから東に向かえば唐古鍵遺跡ミュージアムがありますが、今日(月曜日)は定休日なので、もう少し北側にある遺跡を目指します。


鏡作坐天照神社さんに鳥居前からご挨拶。古くから鏡鋳造の神として信仰を受けてきた鏡作神社、現在も美の神として美容師さんや鏡業界関係者の参拝が多いらしい。

安養寺がありました。こちらに客仏として安置されているのが仏師・快慶作の阿弥陀如来立像。「こぢんまりしたお寺にとんでもなく素晴らしい仏様がいらっしゃる」のも奈良らしいところ。この安養寺の先で下ツ道は寺川の西から東に移ります。


安養寺の北側で下ツ道を離れ、東に15分歩くと唐古・鍵遺跡に到着です。現在ここは再開発事業の真っ最中。ここで休憩しながらぼーっツと弥生時代に想いをはせる予定でしたが、工事用車両が出入りして今はそれどころじゃありません。気を取り直して、少し残してたスポーツドリンクを一気に流し込んで池をグルッと回ってみます。

池の南西部には復元された立派な楼閣が。予想以上に大きく立派な建物でした。クルクルっと巻かれた飾りが印象的。面白い建物なのでじーっと見ていたら沢山の蚊が寄ってきました、池の畔のせいか蚊が多い。弥生時代の人々は蚊をどうしたのでしょうか。


鏡作神社のことを書いてますね

史跡公園としての完成がたのしみです



田原本は肥沃な土地に恵まれたため、古くから大きな集落が形成され人々の社会生活が始まりました。その肥沃な土質はいまでも変わらず、現代でも大和伝統野菜「味間芋」などの美味しい野菜が生産されています。今日は時間がないので、下ツ道ウォークはここまでにします。次回は一気にゴールの朱雀門を目指します。

2017年6月30日金曜日

はり新のお料理(季節のゴマ豆腐)

●かみつみち弁当の先付「季節のゴマ豆腐」を、玉蜀黍(トウモロコシ)豆腐からトマト豆腐に変更します。太陽の恵みをいっぱい受けたお野菜をペーストにし、奈良名産の吉野葛を使って練り固めております。

「左 玉蜀黍豆腐、右 トマト豆腐」です
●今年は、玉蜀黍豆腐とトマト豆腐の順番を入れ替えたので、トマト豆腐の出番が7月となります。
 先日の雑誌取材のときにも聞かれました「いったい何種類あるの?」と。まとめてみました。

  睦月  紅白ゴマ豆腐
  如月  若草豆腐
  弥生  よもぎ豆腐
  卯月  桜豆腐
  皐月  そらまめ豆腐
  水無月 玉蜀黍豆腐
  文月  トマト豆腐
  葉月  えだまめ豆腐
  長月  南瓜豆腐
  神無月 落花生豆腐
  霜月  黒胡麻豆腐
  師走  黒豆入り南瓜豆腐

 その他にも、水無月豆腐 滝川豆腐、胡桃豆腐、焼き茄子豆腐、アーモンド豆腐、をお出ししたこともありました。

* 必ず月初めで切り替わるとは決めておりません。また、必ず(何月には何豆腐)と決まっているわけではなく、前後にずれたり、前後を入れ替えることもあります(例えば、落花生豆腐↔黒胡麻豆腐)

 銀杏、さつまいも、慈姑、筍、栗などはペーストにすると香りが乏しくてゴマに負けてしまいます。それ以外には a.胡麻と相性が良いこと、b.ペーストにできること、などの条件があえば、他のお野菜でも季節のゴマ豆腐にすることはできると思います。良いアイデアがあれば教えてください。

2017年6月28日水曜日

はり新の観光案内(大神神社の茅の輪)

●6月30日は各地で「夏越しの大祓」が執り行われますね。今回は、日本最古の神社 大神神社 の茅の輪をご紹介したいと思います。

三連の茅の輪が珍しいですね。こちらは八の字の順にくぐるのが慣わしです。あとで調べてみると、真ん中の輪には杉、右の輪には松、左の輪には榊が掛けられているようです。くぐるのは、杉→松→杉→榊→杉の順番ですよ。


●日本最古と言われる神社はいくつかあるようですが、古事記や日本書紀に神社創祀にまつわる伝承が記されていることから奈良県の大神神社は古社中の古社といえるでしょう。参拝される方の大半が鳥居前で立ち止まって一礼されることから、信心深い方々が集まっていらっしゃる事もわかります。

 こちらの神社は、ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝するという原初の神祀りの形を取ります。大神神社でも、一年の折り返しに当たる6月30日には、夏越しの大祓が催されますね。この日は神様に詣でて、半年間無事に過ごせた事のお礼と来る夏を無事に過ごせますようにとご挨拶に伺う日です。

 この日、各地の神社では茅の輪が設けられ、参拝者はその輪をくぐり抜ける事により半年間のけがれを取り去り、真っ新な気持ちで夏を迎えることが出来ます。三輪の大神神社では三ツ鳥居と同じく三連の茅の輪が拝殿手前に設けられます。三つの輪を八の字を描くようにくぐる事になります。

 大神神社の茅の輪は6月30日だけでなく、前後数日間は拝殿手前に設置されているので、機会があれば是非どうぞ。


鳥居前で立ち止まり、一礼。ほとんどの参拝者がそうされるので、
私も自然と一礼してから鳥居をくぐります。背筋がピンと伸びて気持ち良いですね。


階段を登ると拝殿前の茅の輪が見えてきました。
この辺りから見ると三ツ鳥居にも見えますね。

2017年6月25日日曜日

はり新の観光案内(下ツ道 その1/見瀬丸山古墳〜近鉄笠縫駅近く)

●かつて奈良盆地には南北に走る三本の官道があり、東から上ツ道、中ツ道、下ツ道と呼ばれました。これらの道路がいつ造られたのか詳しくは判らないようですが、壬申の乱(672年)で大海人皇子(後の天武天皇)がこれらの道を効率よく利用して軍を展開した記録が残ります。
 上ッ道と同様、古代の香りがする下ツ道に以前から興味があったので、数回に分けて歩いてみることにしました。(歩き始めたのは9月でした)

●当店の看板料理「かみつみち弁当」の「かみつみち」とは上ッ道のことで、当店の前の道が上ッ道の北端となることに因んで名付けました。時代が下ると上ッ道は上街道となり、京の都から初瀬詣や伊勢詣にむかう重要な街道となりました。その後、移動や物流の主役が自動車に変わる昭和中期に国道169号(奈良天理線)が整備されるまで、奈良の物資輸送の大動脈としての役を担いました。現在、上ッ道は数カ所で判りづらい点がありますが、なんとか奈良町から桜井、そして山田寺跡まで歩くことが出来ます。

 一方、下ツ道は奈良時代には平城京と藤原京という新都/旧都のど真ん中を結ぶ最重要道路として重宝されていたと思われます。しかし、都が奈良を離れると街道としての必要性が失われ、横大路との交差点(八木)以外の部分は急速に荒廃していったのではないでしょうか。昭和中期に今の国道24号線が下ツ道のバイパスとして整備されました。

 今回は藤原京跡の南、見瀬丸山古墳から北上して朱雀門を目指すことにしました。ネットや図書館で調べると、途中まで下ツ道の標識や旧街道らしい雰囲気のある建物があるそうですが、名阪道路の北側は都市開発の影響でルートが良くわからないようなので、歩きながら旧街道の痕跡を探してみることにします。

まずは岡寺駅をスタート地点としました。岡寺駅は近鉄吉野線にある小さな駅ですが、飛鳥方面へのハイキングコースの北起点となるので、朝夕は多くのハイカーが利用する駅です。下ツ道の南端を見瀬丸山古墳とすると聞いたので、まずは岡寺駅から少し北にある見瀬丸山古墳を目指します。
スタート前に念のため駅前にある地図を見てみます。
岡寺駅周辺には藤原京跡や甘樫丘、そして古墳がたくさん
ありますね。古代史好きの方なら、このエリアだけで
2〜3日は楽しめそうですね。


駅ロータリー出口に建つ石碑。明日香村サイクリングで何度も訪ねて
いるので、今回は天武・持統天皇陵はパスさせていただきます。

国道169号沿いの地図です(地図の下方向が北)

案内版は"古墳"の文字だらけですよ(笑)。最近は古墳に魅了される人が
増えているようですが、私は(古墳 = 偉い人のお墓)という意識が強いタイプで、
どちらかというと神妙な気持ちになります。橿原周辺には古墳に関する博物館、資料館が
たくさんあるので、機会を作って詳しく知りたいです。


岡寺駅から15分ほど歩くと右手に丸山古墳が見えてきます。
全国で六番目、県下最大規模の前方後円墳。当初円墳と考えられていましたが
後に航空写真等により周庭帯をもつ前方後円墳と判明したそうです。
古墳の一部が国道169号により分断されています。




丸山古墳から下ツ道に戻ります。下ツ道を少し北上してから西方面へ。
橿原神宮にお詣りしました。橿原神宮は、かつて神武天皇の宮(畝傍橿原宮)が
あったとされる地で、1890年明治天皇の命により創建されました。全てに於いて
スケールの大きい神社なので時間に余裕をもって、ゆったりと参拝したいところです。

いいキャッチコピーですね


だだっ広い!正月には初詣客でごった返しますが、
平日に行くととても贅沢な空間を独占できます。


ちょうど「神武天皇御一代記御絵巻」展を開催していました。
神武天皇のことは詳しく知らなかったので、結構面白かったですよ。

橿原神宮から神武天皇御陵まで歩く途中、こんな案内版を見つけました。
この辺りには橿原遺跡があり、縄文時代晩期〜飛鳥・奈良時代にかけての
多くの遺構、遺物が発見されたそうです。

神武天皇御陵に到着しました。橿原神宮に掲示されていた地図で確認すると
 "すぐ近く"にみえましたが、徒歩で45分ほどかかりました。

失礼ながら第一印象は "初代天皇を祀るにしては少し殺風景だな" という感じでしたが、振り返ると目前に迫る畝傍山に圧倒されます。広大な敷地と畝傍山が醸し出す贅沢な雰囲気が初代天皇にふさわしい荘厳な神域を感じさせてくれます。観光客も少ないので、ゆっくりと神武天皇時代の妄想を楽しめますよ(笑)。

神武天皇御陵を出て次は下ツ道の東側に向かいます。次に目指すのは本薬師寺跡。

この時期(9月中旬)に下ツ道ウォークを始めたのは、この景色を見たかったから。
ホテイアオイの絨毯です。ここは本薬師寺跡。

本薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒のために建てたお寺で、当時は薬師寺と呼ばれて
いました。都が藤原京から平城京に移された時に、お寺も今の奈良市西ノ京に移されました。以後、薬師寺のあった場所は本薬師寺と呼ばれます。ホテイアオイは地元の畝傍北小学校の2年生が、毎年近所の農家さんと一緒に植え付けているそうです。

彼岸花とホテイアオイのコラボレーション。奥の見える茂みは本薬師寺の金堂跡。

塔跡にもホテイアオイ
ホテイアオイの向こうには畝傍山。奈良時代の文化人ならここで詩を
詠むところでしょう。私も一句、と思いましたが・・、何も思い浮かば
ないので、とっとと先を急ぎます。

本薬師寺の案内版



本薬師寺には駐車場が用意されています。周辺道路は道幅が狭いので路上駐車は
絶対にやめましょう。では、下ツ道ウォークを再開します。

本薬師寺から下ツ道に戻ります

下ツ道跡の碑がありました

「下ツ道跡」の碑は、かしはら万葉ホールの近くです

ここで下ツ道は枝分かれします。歩道橋に登って上から進路を確かることにします。

歩道橋から北方面を見てみます。あらかじめ調べていた地図と、
立ち並ぶ家々の雰囲気などからこの道を進むことにします。

暫く歩くと常夜灯が見えてきました。旧街道で間違いないでしょう。

この辺りはまっすぐな直線道路です。道は歩きやすいのですが、
抜け道になっているのか自動車はよく通りました。

昔の街道らしい雰囲気がありますね
暫く歩くと八木札の辻に出ました。ここは、古代の東西官道と南北官道の交差点。古代奈良盆地には、東西に横断する横大路と南北に縦走する三本の幹線道路(上ッ道、中ッ道、下ッ道)がありました。その横大路と下ツ道が交差するのがここ。江戸時代中期以降、この界隈は伊勢参りや大峰山への参詣巡礼者などで賑わっていたそうです。

八木札の辻に建つ平田家(旧旅篭)は市指定文化財となり、
「八木札の辻交流館」として新しい役目を担っています。
月曜日が定休日です(この日は定休日でした)


はり新の定休日と一緒なので、なかなか中に入れない


八木札の辻の説明書きがありました。
八木の町は古代から官道が交わる交通の要所でした。

八木駅の近くには今井町があります。
いずれ、今井町についてもご紹介したいとおもいますが、今回は立ち寄らずに北を目指します。

更に北に進む予定でしたが、橿原で東へ西へとウロウロしたので
些か疲れました。今回は笠縫で終わりとします。

次回は田原本を通過します!楽しみです。