2016年9月28日水曜日

はり新の観光案内(本薬師寺跡のホテイアオイ)

●橿原市の本薬師寺(もとやくしじ)跡で、約14,000株の満開のホテイアオイを見てきました。真っ赤に咲き誇る彼岸花との饗宴は、ずっと見ていても見飽きることはありませんでした。


●奈良県橿原市、近鉄畝傍御陵前駅のすぐ東に本薬師寺跡はあります。かつてこの地には、皇后の病気平癒を願って天武天皇が建立を誓願した官寺・薬師寺がありました。その後、平城京遷都に際し薬師寺は現在の奈良市西ノ京に移り、それぞれを区別するためにこちらは本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。

 現在は金堂と東塔の礎石、それに西塔の心礎が残るだけですが、かつては飛鳥四大寺のひとつ(他は川原寺、大官大寺、法興寺)に数えられ、藤原京右京八条三坊の全域を占める大寺院であったそうです。平城京遷都の際に建物も移築されたそうですが、一部の建物は11世紀まで残っていたとの研究結果もあり、まだまだ解らないことが多いそうです。その大寺院跡も今はのどかな田園風景の一部となっていますが、数年前から地元の畝傍北小学校2年生の生徒さんが農家の皆さんと協力して、ホテイアオイ(約14,000株!)の植え付けをして秋には観光客の目を楽しませてくれています。

 秋のお彼岸の時期には彼岸花とホテイアオイ、紅赤色と青紫色の饗宴を見ることが出来ると聞いて本薬師寺跡まで行ってきました。畝傍山を借景として深紅の彼岸花に縁取られたホテイアオイの絨毯の中に立ち、かつての薬師寺伽藍を思い浮かべると本当に贅沢なひとときでした。

 ホテイアオイは7月後半から少しずつ咲き始めるそうですが、綺麗に咲きそろうのは9月に入ってから。今月いっぱいは楽しめるそうです。畝傍北小学校のみなさん、ありがとうございます。
畝傍御陵前駅構内に案内表示があります。東口に出ましょう。


不法駐車には気を使われています。数カ所に分散していますが、
かなりの数の駐車スペースは確保されています。お車で行かれる方はくれぐれもルールを
守るようにしましょう。

すぐ近くに臨時駐車場も用意されています。本薬師寺とR169の間、道の北側にあります。





本薬師寺跡の駐車場です。20台ほどの駐車スペースがあります。
近くにも臨時の駐車場が用意されています。



東塔の礎石。こんなところにもホテイアオイ。

後ろに見えるのが畝傍山、そのうしろが葛城山。

彼岸花と稲穂の共演も秋を感じますね。このあたりも稲刈りは10月第2週頃になるようです。

西塔の心礎
現在、本薬師寺跡に建つ御堂

2016年9月16日金曜日

はり新の観光案内 〜「足場の塔」/古都祝奈良(ことほぐなら)〜


● 時空を越えたアートの祭典として「古都祝奈良(ことほぐなら)」が開催中です。1000年以上前に失われた大安寺の巨大な七重塔を彷彿とさせる「足場の塔」を大安寺会場にて拝見してきました。七重塔に比べると低いものですが、これをきっかけに巨大な塔の姿を想像すると結構楽しくなりました。

       → 詳しくは「古都祝奈良」HPへ


● 公式HPによると・・『日本、中国、韓国の3カ国で、文化による発展をめざす都市を各国1都市選定し、各都市が行うさまざまな文化プログラムを通じて交流を深める国家プロジェクト「東アジア文化都市2016奈良市」のコア期間プログラムとして「古都祝奈良(ことほぐなら)ー時空を超えたアートの祭典」を開催』と説明されています。国際的なアーティストが集い、奈良の各地で何か面白いことを見られる!ってことですね。

会場は、東大寺、元興寺、興福寺、大安寺、春日大社、薬師寺、唐招提寺、西大寺の八社寺のほか、なら100年会館、平城京跡、ならまち界隈となります。開催期間10月23日まで。

 まず、今回は大安寺東塔跡地に「足場の塔(川俣正さん作)」を見てきました。火災で失われた大安寺七重塔を足場丸太を組み上げて再現するとのこと。材料は奈良県産の丸太1500本と番線(ワイヤーコード)。釘は一切使っていないそうです。大安寺式伽藍配置では塔は金堂からおおきく離れて南大門の外側に位置します。現在の大安寺南大門から南に約200m進んだところに東西の塔跡があり、その東塔跡地で「足場の塔」は組み上げられていました。すぐ横にある塔跡と重ねて見ると、当時の風景が想像できそうです。

 足場丸太を組み上げただけの塔ですが、かつての大安寺の姿を重ねてみることができたら、これは貴重な体験になります!
奈良県産の足場丸太を約1500本10日間で組み上げた作品です。大安寺は、百済大寺 → 大官大寺 → 大安寺と場所と名前を変えて平城京遷都の際に現在の地に移ってきました。百済大寺、大官大寺にも高さ100mの九重塔があったと考えられています。筆頭寺院として国家の威信を示さなければならない宿命のためか、この寺院は藤原京に於いても平城京においてもその時代で最も大きな塔を備えることになり、常に落雷などの自然災害の標的とされて来ました。都が奈良を離れて朝廷の後ろ盾を失うと落雷により焼失した塔を再建することはできなくなりました。それを考えると、今回の「足場の塔」には深く感じいるものがあります。

 大安寺までは週末はJR奈良駅、近鉄奈良駅から1時間に1本のシャトルバスが出るそうです。奈良町から歩くには少し遠いのでバスでの移動をお勧めします。
(追加・・受付の方に台風が来たらどうするのか聞いて見ました。釘を使わずに番線で締めながら組み上げただけなので、台風の直撃などあるとどうするのか分からないそうです。台風のあとに訪問される際は電話で確認されたほうが良いと思います)

美術、舞台芸術、食の3つを大きなテーマとして8社寺の他、なら100年会館、
平城宮跡、さらに奈良町界隈でも楽しむ事が出来ます

大安寺の塔は七重塔で高さ70m以上であったと聞きます。「足場の塔」は高さ22mなので、本来はこの3倍以上の高さがあったことになります。当時は「そびえたつ」という表現そのものだったんでしょうね。
「足場の塔」へは大安寺南大門から、この道を南に200mほど進みます。

現在の塔跡(東塔跡)




西塔跡




2016年9月14日水曜日

はり新の観光案内  〜 采女祭 〜

●あす9月15日は十五夜ですね。奈良の猿沢池では采女祭が行われ、たくさんの人で賑わいます。







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●猿沢池は興福寺五重塔の南側にあり、周囲約360mの小さな池です。この池には昔から七不思議があり『澄まず 濁らず 出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚七分に水三分』と言われます。魚七分に水三分、とおもしろいですね。

また、この池には古くから龍神伝説もあり芥川龍之介の「竜」の舞台ともなりました。しかし、その龍神様もあることをきっかけに猿沢池から春日山の山中に移り、さらには室生の地に移り住んだとか。室生竜穴神社と猿沢池はご縁があるようです。

その龍神様が室生に行ってしまうきっかけとなったのが・・。
この池の北西には鳥居を背にした後ろ向きの珍しい神社があります。昔、帝の寵愛がおとろえたのを嘆いてこの池に身を投げた采女を祀る神社なのですが、采女は我が身を投じた池を見るのにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにしたとか。

采女の御霊を慰めるため毎年仲秋の名月の夜、猿沢池では采女祭が行われます。午後4時頃に花扇を積んだ花車を中心に十二単衣を着た花使と稚児、さらには天平衣装をまとったミスうねめ、ミス奈良が古都の大路を練り歩き、采女神社に参拝。やがて花扇をのせた龍船が管絃の音につれて月夜の猿沢池を巡り、最後には花扇を池中に投じる雅やかな行事です。かつては、池の水に足をつける子供達があちらこちらで見られました。冬に霜焼けにならない「おまじない」だったとか。池の周囲では琴の音が流れ茶会が開かれ大変な賑わいのお祭でした。昨今は茶会などは聞かなくなりましたが、夜店が数多く出てすごい人出るとなるのはかわりません。最近は管絃船の乗船体験もあるそうですよ。

采女が衣をを掛けたという衣掛柳が池の南東にあります。「五重塔が水面に映る」奈良を代表的する景色ともいえる猿沢池もこの日だけは夜遅くまでたくさんの人で賑わいます。

采女神社。正面からお社の背がみえますね。
管絃船がゆったりと池を巡ります

三条通から猿沢池を望みます。采女祭の準備が着々と進んでいました。
 〈9/12撮影〉
采女神社から北側に向かう階段を登ると興福寺三重塔、南円堂へとお参りできます。
この日は「五重塔と三重塔 同時公開」のためたくさんの人で賑わっていました
















はり新の観光案内  〜 采女祭 〜

●あす9月15日は十五夜ですね。奈良の猿沢池では采女祭が行われ、たくさんの人で賑わいます。







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●猿沢池は興福寺五重塔の南側にあり、周囲約360mの小さな池です。この池には昔から七不思議があり『澄まず 濁らず 出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚七分に水三分』と言われます。魚七分に水三分、とおもしろいですね。

また、この池には古くから龍神伝説もあり芥川龍之介の「竜」の舞台ともなりました。しかし、その龍神様もあることをきっかけに猿沢池から春日山の山中に移り、さらには室生の地に移り住んだとか。室生竜穴神社と猿沢池はご縁があるようです。

その龍神様が室生に行ってしまうきっかけとなったのが・・。
この池の北西には鳥居を背にした後ろ向きの珍しい神社があります。昔、帝の寵愛がおとろえたのを嘆いてこの池に身を投げた采女を祀る神社なのですが、采女は我が身を投じた池を見るのにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにしたとか。

采女の御霊を慰めるため毎年仲秋の名月の夜、猿沢池では采女祭が行われます。午後4時頃に花扇を積んだ花車を中心に十二単衣を着た花使と稚児、さらには天平衣装をまとったミスうねめ、ミス奈良が古都の大路を練り歩き、采女神社に参拝。やがて花扇をのせた龍船が管絃の音につれて月夜の猿沢池を巡り、最後には花扇を池中に投じる雅やかな行事です。かつては、池の水に足をつける子供達があちらこちらで見られました。冬に霜焼けにならない「おまじない」だったとか。池の周囲では琴の音が流れ茶会が開かれ大変な賑わいのお祭でした。昨今は茶会などは聞かなくなりましたが、夜店が数多く出てすごい人出るとなるのはかわりません。最近は管絃船の乗船体験もあるそうですよ。

采女が衣をを掛けたという衣掛柳が池の南東にあります。「五重塔が水面に映る」奈良を代表的する景色ともいえる猿沢池もこの日だけは夜遅くまでたくさんの人で賑わいます。

采女神社。正面からお社の背がみえますね。
管絃船がゆったりと池を巡ります

三条通から猿沢池を望みます。采女祭の準備が着々と進んでいました。
 〈9/12撮影〉
采女神社から北側に向かう階段を登ると興福寺三重塔、南円堂へとお参りできます。
この日は「五重塔と三重塔 同時公開」のためたくさんの人で賑わっていました
















2016年9月7日水曜日

はり新の周辺観光案内  〜 元興寺特別企画 古代瓦見学 〜

●今、JR西日本の「ちょこっと関西歴史旅 元興寺」にて奈良町の元興寺が注目されています。先日、特別企画の古代瓦見学に行ってきましたので、少しご紹介させて頂きます。日本最古クラスの瓦を目の前でみることができます。作られてから1400年経った瓦が、いまも現役で働いています。

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●元興寺はかつて藤原京から平城京に都が移された時に、飛鳥にあった飛鳥寺(法興寺)を現在の地に移したもの。法興寺は、日本最初の本格的仏教寺院であったことから元興寺は日本最古の歴史をもつお寺といえます。奈良時代は南都七大寺の中でも東大寺に次ぐ規模を誇り、一時はリーダー的存在だったとも聞きます。

 そんな大寺院の移築というと「新しい木材で造り直し」と考えてしまいますが、新しい木を見つけて切り出し乾燥、運搬加工する時間と手間を考えると解体して運搬、再組立するほうが効率的だったのでしょう。元興寺は法興寺を解体して運搬、現在の地に建てられることになりました。それは当時、貴重であった瓦についても同じで大量の瓦が運搬、再利用されたそうです。

 奈良時代は官寺の中でもトップクラスの地位を誇った元興寺ですが、朝廷が奈良を離れると徐々にその力は衰退し土一揆に巻き込まれて伽藍の大半を失いました。後年、鎌倉時代に大改修をしましたが、その際にも法興寺時代の瓦を一部分に再利用することにしたそうです。結果、元興寺にはいまでも法興寺時代の瓦が一部の屋根に使用されているそうです。また、極楽堂西面屋根と禅室南面東寄りの屋根だけは行基式と呼ばれるやや異なった丸瓦を用いた行基葺きと呼ばれる葺き方をしているそうです。

 1400年前の瓦が博物館で保管されているなら珍しくもない話ですが、今でも雨風から国宝を護っている事には驚かされます。古代瓦の魅力を理解するためには、仏像とは別の基礎知識が必要になりますね。元興寺HPなどにも瓦の説明がなされているので少し下調べをしてから見学された方がより楽しめると思います。(ボランティアガイドの方の説明は詳しく面白いので、それだけでも楽しめることはできますが)


 
こんな間近から屋根瓦を見ることは滅多にできません。とても貴重な体験でした。
瓦の色が異なるのは瓦の焼成温度の違いから。窯の温度管理には高い技術が
必要なので、制作された時代により瓦の色が異なります。


極楽堂の大屋根にある鬼瓦は鎌倉時代のもの。ボランティアの方から「中世の鬼瓦はめずらしいが、鎌倉時代
といえば元興寺全体からみれば新しい分類に入る」と説明されました。時間のスケールが違います!

表面が欠けたような瓦。瓦に含まれた水分が、冬場の凍てつきで爆ぜたもの。

美しい風景ですね

こんな角度で浮図田をみるのも初めてのこと

小鬼さん、今日は浮図田に。以前は、桜の木の下でお見かけました。
他の4躯はいつもの場所にいらっしゃいました。

このような高さ4mの特設足場の上から古代瓦を見学できます。
この写真で見るより狭い階段です。
階段の昇降しやすい服装、靴で行きましょう。

古代瓦見学は9月17日(土)まで。15分ごとに入れ替え制ですが、ボランティアの方から詳しい説明を聞くことが出来ます。
禅室の行基葺き瓦屋根
(写真はパンフレットから拝借)