2018年2月28日水曜日

はり新の観光案内(山辺の道 その3/円照寺〜新薬師寺、春日大社)  

●2回で完歩する予定だった山辺の道、今回で3回目。歩き残した円照寺から北側に向けて進みます。

前回の中断ポイント(山町の万葉歌掲示板)まで戻りました。この辺りにもたくさんの万葉歌掲示板が建てられています。→ 山の辺の道(奈良道)を守る会 webサイトへ

山辺の道はこの鳥居から茂みの中に進みます。事前に調べておかないと見落としそう。

鳥居の先は石段から土道となり、道幅が狭くなって少し心細くなる。しばらく歩くと円照寺の参道に繫がる。円照寺は華道・山村御流のお家元、当店のお花もこの山村御流。こちらは通常非公開なので山門から中には入れません。山門前で手を合わせて一礼の後、Uターン。


参道から北側で一部通行禁止。
枯木が多く倒木や落木の危険があるそうです。


この辺りはイノシシ害が多いのか、あちらこちらに防護柵
崇道天皇陵の前を通ります




池の表面には氷がはっていました
この日は寒い!!

島田神社


白山比咩神社


視界が開けました。遠くに矢田丘陵と生駒山が見えます
青空の下、畝が幾何学的な模様に見えて美しい



桜井からここまで何度か竹林の中を通過しましたが
ここは歩きやすい。風が通り抜けるため爽やかです。
ここまで来たらゴールは近く、気持ちも軽い


八坂神社。神社前を素通りするつもりでしたが何となく気になって境内に入ってみて小休止。あまり広くはない境内ですが、落ち着いた雰囲気が良い神社。朱塗りの神殿も良いが、大樹を背負うだけで飾り気のない神社が大好きなので嬉しい発見でした。


白毫寺、奈良盆地を見渡せる高台にある古刹で、1月に行われる閻魔詣が有名です。白毫とは仏の眉間にあって光を放つという渦巻き状の毛のこと。   


ここを右に進むと円成寺、若き頃の運慶が彫った大日如来坐像があまりにも有名。


新薬師寺への道標がでてきました


南都鏡神社

新薬師寺。"新"は"あらたかな" という意味で西ノ京の「薬師寺」とは直接は関係ないそうです。創建当初は金堂、東西両塔、七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院でしたが、現在は本堂(国宝)と南門、東門、地蔵堂、鐘楼が残るだけです。ご本尊の薬師如来坐像とその周囲を護る十二神肖像が圧巻で、数年前に御堂内の照明をLEDに変えてから像に重厚感が増えました。照明が変わるとこんなにも違うんだと感動した記憶があります。近いうちに、当ブログでもご紹介したい寺院のひとつです。

不空院さん前を通過。こちらには素晴らしい不空羂索観音さんがいらっしゃいます。東大寺法華堂、興福寺南円堂の不空羂索観音さんと共に「三不空羂索観音」と称せられるようです。春秋の特別公開の時期以外に拝観しようとすると事前予約が必要です。(拝観時はスコープがあると良いと思います)

不空院を過ぎると鹿が待っていてくれました
鹿を見ると帰ってきた感じがして安心

高畑界隈から"奥の院道"を通って春日さんへと向かいます

春日大社南門(重文)まで帰ってきました
山辺の道の南端は"仏教伝来の碑"のようですが
北端はどこでしょうか。白毫寺が北端とする人もいますが私にはしっくりきません。滝坂の道との接続点が北端なのでしょうか。しかし、ハイキングコースとしては春日大社や東大寺まで奈良公園内を歩いた方が楽しいですよね。
 上ッ道、下ツ道は歴史的に重要な街道で私は大好きですが、純粋にハイキングを楽しむには山辺の道の方が良いですね。次は万葉集についてもっと知ってから歩いてみたいと思いました。

2018年2月22日木曜日

はり新のお料理(若草豆腐)

 かみつみち弁当の先付は、吉野産柿酢を使った「柿酢ソーダ」と月替わりの葛豆腐。今月のお豆腐は若草豆腐。
若草豆腐は、奈良を代表する山「若草山」から名付けました。若草山に降った雪の下から、若草が顔を覗かせた様子を白色と緑色のコントラストで表現しております。冬から春へ移り変わる、正に今の季節を表した葛豆腐です。

 ベースは35年前に先代が編み出したピーナツ豆腐、これにエンドウ豆の緑色をあしらった若草豆腐は吉野葛特有のモチッとした食感と落花生/エンドウ豆の香りが口の中に拡がります。もうすぐ春ですね。












2018年2月7日水曜日

はり新の観光案内(山辺の道 その2/長岳寺〜弘仁寺)

●先日、大神神社にお詣りするだけが目的だったのに優しい日差しの下、気分が乗って長岳寺まで歩きました。やはり山辺の道は歩きやすく気持ち良い。


この機会に新薬師寺まで歩こうと思い、前回中断した長岳寺から更に北を目指しました。
前回中断した長岳寺前に戻るため、柳本駅からスタート。駅の東へと進み、途中で上ッ道を横断。その近くには柳本藩陣屋跡(現在は柳本小学校)があります。やはり重要な建物が上ッ道沿いに建っていることから、かつての上ッ道の重要性に一人納得して坂を登ります。約15分で長岳寺に着きます。


長岳寺から中山廃寺へ歩きます。この辺りは大半が舗装された道。スニーカーが歩きやすい。無人販売所には商品が並んでなくて残念。

柿本人麻呂の歌碑です。引手の山に妻の亡骸を葬り、つらいきもちで山辺の道を歩いて帰る柿本人麻呂が龍王山を見て詠んだそうです。当時、死者の魂は山に帰ると信じられていました。

お地蔵さんが整然と並んでいます。今年の冬は記録的に寒いですが、この日は少し暖かい。背中に陽が当たって暖かい。

念仏寺の前を通過

この辺りは古墳時代前期の古墳が多い。この波多子塚古墳も古墳時代前期前半のもの。

戦国時代の名残とも言われる環濠集落
自衛手段として周囲に堀を巡らした集落
下ツ道沿いの稗田町にも立派な堀が残る環濠集落が残ります。奈良盆地の平地では数多くの環濠集落ができましたが、山辺の道沿いの様な高台に環濠集落が作られたのは珍しいそうです。 


竹之内環濠集落の北側にある夜都岐神社に着きました。

こちらには春日大社の四神が祀られています

きれいな藁葺屋根ですね。溜池に照る陽が反射して輝いて見えます。

途中、道を間違えて困っていると、少し離れた場所で伐採作業していた方が"ニコッ"と笑って正しい道を指さして教えてくれました。この他の場所でも「兄ちゃん、間違ごうとるで!こっちやで!」って声をかけてもらったり山辺の道を歩いていると皆、親切で嬉しくなりますね。この後、白毫寺近くで落ち葉で滑ってすっころんだ急坂を除けば、ここの石畳が一番の難所でした
内山永久寺跡に着きました。廃仏毀釈運動で廃寺となってしまった大寺院です。元々は東大寺、興福寺、法隆寺につぐ待遇を受ける寺院で「西の日光」とも呼ばれたそうですが、いまは本堂池だけが残るだけで150年前までそんな大寺院があったとは思えない。

内山永久寺跡の休憩場でしばらく休みます。山辺の道では「廃仏毀釈により・・」と説明された廃寺などを幾つか出会います。それが無ければ今でも・・と思うと、とてもとても残念です・・。



松尾芭蕉の句「うち山やとざましらずの花ざかり」


石上神宮に着きました。ここは古代豪族 物部氏の氏神で大和朝廷の武器庫だったとも言われます。明治初期、永きにわたり禁足の地であった場所を発掘したところ、古くからの言い伝えの通り「布都御魂剣」などが見つかったそうです。

石上神宮では鶏が出迎えてくれます。・・本当は「出迎えてくれる」との表現とは程遠く無愛想。まったく人間を怖がりませんね、 貫禄あります。参拝者に連れられて境内に入ってきたラブラドールレトリバーを気にする様子など全くありません。

疲れたのでベンチに座りたいと思って近付いてみると、この有様・・。「すわらせてくれよ・・」

山辺の道沿いに建つ重厚感のある楼門


石上神宮で神職さんと話し込んでしまい出発が遅くなりました。平日昼間に社寺巡りをすると神職さんから珍しい話などを聞けて得した気分になります。先を急ぎます。

布留川に橋桁の高い橋がかかっていたそうです。今ではその場所は不明ですが、写真のような現代版の高橋がかかっています。この辺りで謳われたと思われる詩が万葉集にはいくつもあることから、当時は特別な場所だったのかもしれません。

『石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける』→「石上の布留の高橋のように、心も高高と爪先立つ思いで妻が待っているだろう、夜は更けてしまったことだ。ああ愛しき妻よ・・」


豊日神社前を通過。石灯籠には「天満宮」の文字が刻まれていました。奈良は菅原氏発祥の地であり菅原道真の生誕地であったことから天神信仰が根強いと聞いたことがあります。こちらの神社も関係がありそうですね。





車道から分かれて細い急坂を登ります。取って付けたような、ささやかな案内版に不安を感じながら竹藪のような小路を進みます。


竹林を抜けると視界が開けて、目の前に名阪国道が見えてきます。壁に手書きで「←山辺の道」と書かれています。名阪国道をくぐり北側に抜けます。

白川ダムに到着です。ここは農業用溜池(アースダム)を改築した治水ダム。工事の際に発見された和爾小倉谷古墳群は移築されて古墳公園として整備されています。

白川ダムから古墳公園を通り、しばらく自動車道を歩きます。舗装道路に飽きた頃、藪の中にいざなうような"弘仁寺へ"の案内版に従い石段を登ります。この辺りは空気が冷たく感じます。弘仁5年(814年)嵯峨天皇の勅願により空海が創建したと伝えられる真言宗の寺院、弘仁寺。宿坊があり山辺の道を歩く途中で利用する人が居るそうです。

古墳公園から弘仁寺に向かうのに逆方向に歩いてしまい時間ロス。二上山はすっかり夕焼け空に。中途半端ですが、今日はこのまま帯解駅から帰ることにします(あと少しなのに残念・・)。