2018年3月2日金曜日

はり新の観光案内(「かみつみち弁当」を持って上ッ道を歩く)

●歴史好きの方ならご存知でしょうが、約1400年前の奈良盆地には南北方向に上ッ道、中ッ道、下ツ道の三本の街道がありました。かみつみち弁当の「かみつみち」とはこの上ッ道の事で、当店の前の道が上ッ道(後の上街道)の出発点にあたります。中世から近世にかけて京の都からたくさんの人々が「初瀬詣」「伊勢詣」のためこの街道を行き来したそうです。柳生街道への出発点でもあった奈良町には、昔はたくさんの旅篭が軒を並べて大変にぎわったようで、毎日のように旅篭で作ってもらった弁当を持って初瀬や伊勢、大峰山に向かって出発していく旅人の様子が目に浮かびます。

 現在、当店のかみつみち弁当は奈良に因んだ料理を詰め込んだ松花堂弁当としてお出ししておりますが、江戸時代のお弁当と言えば竹皮で包んだシンプルな"握り飯"だったのではないでしょうか。
想像で"復刻かみつみち弁当"を作ってみました。
江戸時代には、奈良町の旅篭で作って貰ったこんな弁当を持って旅人が出発していったことでしょう。

かみつみち弁当
 少し昔の旅人の気分を味わってみたいと考え、竹皮で包んだ江戸時代風の握り飯弁当を持って上ッ道を南下してみることにしました。

早朝、玄米を炊いて握り飯を作りました。江戸時代後期には一部では白米が流通していたそうです。少ない薪で炊くことの出来る白米の方が経済的だったようですが、今回は強いて玄米を炊きました。出発点は当店前とします。
まずは奈良町の御霊神社さんに道中の無事を
お祈りしました

出発から約45分で帯解寺を通過
順調です

さらに櫟本で楢神社を通過(銅板製の鳥居が珍しい)
上ッ道沿いには神社とお寺、それに郵便局が多い
その代わりコンビニがなく自販機も少ない
さらに南下して古代の街道"北の横大路"を横断します

上ッ道と北の横大路の交差点から東を見てみます。遠くに和爾下神社(古代豪族・和爾氏の氏神)の鳥居が見えます。古代の奈良盆地には南北方向には上中下ツ道の三街道、東西方向には横大路、北の横大路の二街道がありました。
ならまちを出発して2時間弱で天理駅到着
駅前広場"コフフン"で小休止してみましたが強い北風に 耐えられず、すぐに出発
天理駅で見つけた貼り紙
上街道(上ッ道)を大切にして頂くと
勝手に感謝したくなりますね(笑)
天理から南には"昭和レトロ"な雰囲気が残ります

天理の南、上ッ道から東の山々をパノラマで撮影。建物が少し視界に入りますが、山々の姿は古代と変わらないでしょう。昔の旅人も同じ景色を見ていたのでしょうか。



  出発してから3時間強、柳本駅近くでお腹が空いてきたので、山辺の道沿いに建つ天理市トレイルセンターまで移動してお弁当タイムとします。

上ッ道から15分ほど東に登って天理市トレイルセンターに到着。本日のメイン"復刻「かみつみち弁当」"を食べます。蕗味噌入りの玄米握り飯と真菜めはり。真菜めはりは奈良の郷土食で、塩漬けにした大和真菜の葉でおにぎりを包んだもの。「目をむく(目をはる)美味しさ」や「食べる時に大きく口を開けると眼も大きく見開く」から"めはり"と呼ぶらしい。あしらいは、椎茸含煮と1年半前に漬けた申年の梅干し、それに胡瓜の糠漬けと奈良漬け。
今から旬を迎える蕗の薹

細かめに刻んだ蕗の薹と
自家製味噌を使った蕗味噌


古代チーズの"蘇"も持って行きました。奈良時代には貴族だけが食べることを許された珍味で滋養強壮の薬とも考えられるとか。古代のサプリメントと考えても面白いと思います。市販のミルクキャラメルほどの大きさの蘇を2個食べると充分な満足感が得られます。



天理トレイルセンター周辺からは古代の貴重な品々が
見つかっています。それら出土品の一部がこちらの建物には展示されています。

  復刻「かみつみち弁当」と「古代チーズ 蘇」で十二分に英気を養って更に南に進みます。竹皮に包まれた玄米握り飯を食べる私を興味深げに見つめていたハイキンググループが印象的でした。
 
大神神社大鳥居のすぐ東側を通過
ここまでくればゴールは近い
ここまで奈良町から5時間

今回は桜井駅の東側、初瀬街道との接合点をゴールとしました。この踏切を渡って左に進めば長谷寺、そしてお伊勢さんへと道は続きます。

   私の足で奈良町から桜井まで5時間半(途中でトレイルセンターに移動して昼食を食べたので)、実質5時間弱の移動でした。かつての旅人が早朝に奈良町を出立したら正午にお弁当を食べた場所は長谷寺近郊だったのではないでしょうか。



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