2018年6月19日火曜日

はり新の観光案内(古道・中ッ道を歩く)

●「かみつみち弁当」の「かみつみち」とは大和の古道・上ッ道のことで古代〜近代まで政治軍事、そして産業発展のうえで大変重要な街道でした。上ッ道の少し東にはハイキングコースで有名な山辺の道、少し西には中ッ道がありました。上ッ道、山辺の道は何度か歩いたことがあるので、今回は中ッ道を歩いてみることにしました。
中ッ道 ≒ 橘街道 と考えて橘寺から北に向けてスタート

●今から約1400年前、古代の奈良盆地には南北に上ッ道(かみつみち)、中ッ道、下ッ道の大和三道が走っていました(大和三道 → 奈良文化財研究所「なぶんけんブログ」参照してください) 大和三道は各々の間が四里(約2.1キロ)〈古代の一里は約530m〉の等間隔で平行に敷設されていたそうです。

 これらの街道は都が奈良を離れると急速に荒廃していったそうですが、中世には再整備され上ッ道は上街道、下ッ道は中街道、そして中ッ道は橘街道と呼ばれるようになったそうです(ややこしい、中ッ道→中街道 ではないの?)上街道は京の都から初瀬詣、伊勢詣への巡礼街道として大変重宝されたそうです。一方、壬申の乱では激しい戦場となった中ッ道ですが、中世以降は吉野詣の道として栄え、その途中で橘寺を通ることから橘街道とも呼ばれました。今回は中ッ道 ≒ 橘街道 と考えて橘寺をスタート地点として北を目指すことにしました。橘寺は明日香村ののどかな田園風景の中に建つ古寺で、聖徳太子誕生の地といわれます。

 


橘寺へは橿原神宮前駅からバスで移動。川原バス停で降りて少し坂を登ると橘寺があります。坂の途中で振り返って北の方角を見てみます。正面奥に見えるの小さな山が大和三山のひとつ「天香具山」。ゴールの平城京跡はここから約20キロ先。道中、昔を偲ぶことのできる石碑などを見つけられるかワクワクするスタートです。





橘寺前をスタートしました。すぐ北隣には川原寺跡があります。飛鳥四大寺に数えられた川原寺跡の脇道を進むと板蓋神社がありました。 
大好きな明日香村ののどかな風景


橘寺を出て15分ほどで甘樫丘の麓を通過




さらに1時間ほど歩くと明日香村を抜けて橿原市へ。
耳成山の横を通過、その先にあるJA「まほろばキッチン」で休憩しました。橘寺からここまで約7キロ。
昼食は「まほろばキッチン」で買った柿の葉寿司と葛餅
嗚呼 "The 奈良メシ"






20分休憩の後、まほろばキッチンを出発
しばらく北に進むと"横大路"を横断します
横大路は奈良盆地を東西方向に走る古道。堺と奈良を結ぶ竹内街道と接し、東に進むと伊勢街道に繫がります。藤原京の北端付近を東西に走る街道です。


出発した橘寺周辺とはすっかり風景が変わりました。北に北にと気持ちが先走り、うっかり竹田神社を通り過ぎてしまいました。


田原本まで進みました。この辺りでは街道の痕跡を見つけるのは難しく、中ッ道は田畑に変わっています。拡がる田畑の中に木々が鬱蒼と茂る一帯を見つけたので近付いてみると村屋神社がありました。一度、訪れてみたかった神社で正しく村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)。大物主と三穂津姫の夫婦神を祀ることから大神神社の別宮とも称されています。橘寺からここまで2時間、約10キロ。




山邊御縣神社に到着。こちらは大和国にある六ヶ所の御県(ミアガタ)の守護神として設けられた御県坐神社の一社。延喜式神名帳に『大和国山辺郡 山辺御県坐神社(大 月次/新嘗))』とある式内社ですが、論社(後継候補社)として二社があるそうで、こちらはそのひとつ。案内板には寛弘4年(1007)関白藤原道長が吉野金峯山詣での途中、ここで宿泊になり、かつては社勢も盛んであった」とあります。境内の観音堂には十一面観音像(重要文化財)が祀られています。
 橘寺からここまで約3時間、14キロ。

郡山、丹波市とあります
この辺りは自動車の往来が激しく写真を撮るのも大変です

中ッ道沿いに橘の木を植え、香り溢れる道にしていこうという「橘街道プロジェクト」により植樹された橘の木がありました。

橘の木は街道沿い5カ所に約200本植えられているそうです。橘は日本の固有種で古事記や日本書紀において永遠の命をもたらす霊薬が橘ではないかとの説もあるようです。


世阿弥作「井筒」に登場する在原業平ゆかりの井戸。たしか、法隆寺の近くにも「業平ゆかりの井戸」がありましたね。陽が西に傾き始めました。まほろばキッチンを出発してから休憩できる場所がなかったので、少し疲れました。橘寺からここまで4時間半、約20キロです。

今市のシャープ近くにある石碑
「右 高野山 左 なら道」でしょうか 
橘寺からここまで約5時間弱、21キロでした
 
 この後、県道754号線を渡り中ッ道の痕跡を探してみましたが面影を見つけることはできませんでした。
 上ッ道や下ッ道に比べて中ッ道は抜け道になっている部分が非常に多く、歩道のない部分も多くありウォーキングに適しているとは言い難い道でした。

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