2017年9月28日木曜日

はり新の観光案内(般若寺のコスモス@奈良阪)

●  "コスモス寺" の名で有名な奈良阪の般若寺に行ってきました。事前にSNSで確認するとまだ3分咲き程度とのことでしたが、そんなことはありません。充分に見頃でした!やはり般若寺はのどかで良いところです。(9月25日の撮影)
境内に入るとすぐ左手には
コスモス越しに国宝楼門がみえます

●興福寺の東側、春日大社一之鳥居前の道を北(京都方面)に進むと般若寺があります。奈良と京都を結ぶ京街道の坂の上(奈良阪)に位置し、かつては学徒千人を超える大寺院でしたが、平氏による南都焼討により伽藍の大部分を失いました。(南都の僧兵たちは般若寺周辺で平氏の進軍を食い止めようとしたため、般若寺は壊滅的な被害を受けました)

 その後、叡尊や忍性によりなんとか復興することができましたが、戦国時代に松永久秀らにより再び伽藍を焼失してしまいました。これ以後は廃寺同然の時期もあったそうですが、第二次世界大戦後に少しずつ整備が進み、今では秋にたくさんのコスモスが咲き誇るお寺として有名になりました。

 壮大な伽藍を二度も戦火で失ってきたお寺ですが、今は牧歌的な雰囲気の平和なお寺です。お向かいの牧場から牛の声が聞こえてきたり、とにかく良い雰囲気です。当店から歩くと約1時間弱かかるので、タクシーを使うか近鉄奈良駅からバスを御利用ください。

石仏とコスモス
いいですね
この風景
コスモスと如意輪観音さん
なんだか楽しそうな表情
紅白の彼岸花もきれい
この日は平日でしたが天候に恵まれたため
境内はたくさんの参拝者で賑わいました

境内中央にある十三重石塔のまわりにもコスモス
気持ちよい秋晴れの日でした


般若寺と南都を焼き討ちにした平重衡の供養塔も
コスモスに囲まれています

改めて楼門を見てみます
やはり可憐なコスモスの花がよく似合います

楼門を外側から撮影してみました
十三重石塔がみえます
屋根の反りが美しい
境内には霊石がいつくかあります
こちらは入り口正面にあった "カンマン石"
写真を撮っている間も絶えず誰かが
身体を押し当てていました
こちらは運気上昇の霊石 "まかばら石"
真言を唱えながら石の頂を右回りに3周なでます
私もなでてみました



「オン・マカバラ・ウン・・」
なでなで・・
この日は白鳳秘仏寺宝が特別に公開されていました
周囲の樹木が元気すぎて入り口が隠れそうです
秘仏拝観希望者は銅鑼(どら)を打つと中から
スタッフが扉を開けてくれます
ゴ〜ンと鳴らして暫く待つと扉が開きました
秘密基地に入るようで少し楽しかった・・
本堂前から鐘楼を見るとコスモスに埋め尽くされて
いるように見えます
新たに整備された駐車場
これでとっても便利になりました



駐車場から南東を見ると東大寺大仏殿の大屋根が見えます
写真には入ってませんが、この少し右側に興福寺五重塔が見えます。般若寺、東大寺、興福寺の位置関係はこんな感じ。写真に写っている道が京街道(奈良街道)で、平氏はこの道を進軍してきたことになります。






















2017年9月23日土曜日

はり新の観光案内(葛城一言主神社@御所市)

●「一言の願いであれば何事でも聞きとどけてくれる」
そんなありがたい神様といえば、全国にある一言主神社。
その一言主神社の総本社が葛城山の麓にあります。


●葛城一言主神社は先日ご紹介した「高鴨神社」「高天彦神社」の少し北側、葛城山の麓にあります。

 古事記によると第21代雄略天皇が葛城山で狩りを楽しんでいたとき、天皇一行と同じ格好の一行を見つけたので名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神、葛城の一言主の大神なり」と答えられたそうです。その後、日本書紀、続日本書紀、日本霊異記にも登場するこちらの神様は地元では「いちごんさん」と呼び親しまれ、一言の願いであれば何事でも聞きとどけてくれる神として信仰されています。

 「願いを一言で」と言われると簡単そうで難しいですね。私は何かとダラダラと話が長くなるタイプですから(笑)何事も端的に一言で表現できる人に憧れます。

 色々調べてみると、一言主の「一」とはゼロから新たのものを産み出す様とも言える事から、一言主の神は創造を司る神とも考えられるそうです。また、悪運をゼロにリセットして再スタートを切るきっかけを与えて頂ける神とも言えるかもしれません。

 当店に御所市出身のスタッフがいるので話を聞くと、子供の頃は年に一度「いちごんさん」にお詣りしていたそうです。お詣りする日、家を出たら神様の前に立つまで一言も喋ってはいけません。神様の前で出たら一息で願いを言わなければならないそうです。礼儀を失するととても怖い神様だけど、切なる願いは必ず聞きとどけてくれる神様として信仰されているようです。

 修験道の開祖・役小角の伝説に登場する時の一言主の神は役小角の呪術で縛られるとか、朝廷に役小角の所業を密告するとか少し人間臭さのある印象でしたが、実際に神社に参拝してみるとお百度参りをされている方がいらっしゃったり、真剣な表情で手を合わせる御夫婦がいらっしゃったりと地元では本当に信仰の厚い神社だと判りました。

 なお、葛城一言主神社へは県道30号から側道に入りますが、地図では判りにくいので注意しましょう。(小さいですが案内版も出ています)
 葛城一言主神社の鳥居。この右側に駐車場があり、15台ほど駐車可。駐車場横ではお爺さんが手作り野菜を棚に並べて売っていた。さて「一言の願い事」と改めて考えると意外と難しいと気付く。鳥居から神殿までは階段を登って約150mの距離、願い事を一言にまとめるため、ぶつぶつ呟きながらゆっくり歩きました。
鳥居横には土蜘蛛塚がありました
土蜘蛛とは大和王権に恭順しなかった古代豪族の総称
神武天皇の土蜘蛛征伐伝承に基づく土蜘蛛塚です
この辺りには土蜘蛛に関する碑が多い
誰が置いたのか、塚には小さなタヌキ
石段を登ると拝殿があります。石段の途中で小さな蛇を見かけました。神社で蛇を見るとは幸運です!
境内はさほど広くありませんが、拝殿は立派な建物でした。お百度参りでしょうか、サラリーマン風の中年男性が大粒の汗を流しながら何度も石段を往復している姿が印象的でした。

拝殿前には樹齢1200年と言われるの乳銀杏の樹があります
この他、境内には樹齢650年の無患子(ムクロジ)の樹も静かに佇んでいます
一時期、元気のなくなってきた銀杏の樹ですが
この数年は少し持ち直したそうです
境内にある御稲荷さんも一言稲荷神社
一言稲荷神社の横には、神功皇后社、天満神社、
八幡神社、市杵島神社


 












2017年9月20日水曜日

はり新の観光案内(そばの花が満開@桜井市笠)

●日本三大荒神のひとつ、桜井市笠山三宝荒神さんの周辺では9月中頃から10月初めにかけて蕎麦(そば)の花が満開になります。台風が通過して天気が回復した昨日、可憐な蕎麦の花を見たいと思い桜井の笠まで行ってきました。


小さくて可愛い蕎麦の花です
花言葉は複数あるようで「懐かしい思い出」
「喜びと悲しみ」「あなたを救う」


●奈良県桜井市の笠地区は標高400〜500mの高さにあり、奈良では珍しく蕎麦作りが盛んな地域です。こちらで本格的に蕎麦作りが始まったのは約25年前ですが、この蕎麦粉で作ったお蕎麦が美味しいと口コミで噂が拡がり、荒神さん横の蕎麦屋さんは一年中繁盛しているようです。



 今では天理ダムから回り込む道が整備されて笠に行くもの楽になりましたが、10年位前までは国道169号(上ッ道)から対向車に注意しながら細い山道を登っていくしかありませんでした。

 こちらの蕎麦の花はSNS上でも話題にになったようで、休日にはたくさんの観光客が訪れるそうです。奈良では新しい風物詩ですね。約15haの蕎麦畑が可憐な白い花で埋め尽くされる様は爽快です。なお、新蕎麦が食べられるのは11月中頃からの様です。その頃にもう一度、来てみたいと思いました。

ひとつひとつは小さな花ですが、
絨毯のように拡がると爽快です

一面に拡がる蕎麦の花に見とれて、
ついつい畑に踏み入ってしまいそうになります
気をつけなければいけません
 この2日前に台風18号が日本列島を縦断していきました。山に囲まれた奈良盆地は台風の影響を受けにくい地形ですが、いちばん広大な蕎麦畑では風の被害を被ったようで、蕎麦が倒れていました
一部の蕎麦は倒れていました
 のどかな笠では蕎麦の花以外にも彼岸花やススキ、稲穂など今の季節だけ楽しめる風景がたくさんあります。この日は平日にも拘わらずたくさんのカメラマンが撮影に訪れていました。凄い機材ですが、こちらのグループはどんな景色を撮影しているのでしょうか。









2017年9月9日土曜日

はり新の観光案内(水神を祀る丹生川上神社@東吉野村)

●平安期には二十二社の一社に数えられた由緒ある神社、東吉野村の丹生川上神社に行ってきました。「知る人ぞ知る」的な神社ですが、調べてみると実はそれはそれは凄く由緒ある神社のようです。今回、初めて丹生川上神社に行きましたが、高見川(神社前の川)の澄んだ川水と青空、そして神職さんの丁寧な対応のおかげでしょうか、とても気持ち良い神社でした。
丹生川上神社中社へは奈良町から車で1時間20分
名阪国道の針インターから宇陀を通り南下して行きました。奈良町を出るときは小雨が降っていましたが、東吉野村に入る頃には陽がさしてきました。現在も晴れ男、晴れ女になりたい!と願いながら丹生川上神社に行く人がいるようです。ちなみに私は以前から"晴れ男"です。

●奈良には春日大社や大神神社のように、全国的に知名度の高い神社が数多くあります。一方、名前はあまり知られていなくても非常に格式の高い神社もたくさんあり、そのような神社のひとつが今回訪れた丹生川上神社です。実はこの神社、次のような凄い歴史を持ちます。

 1,平安期には二十二社の一社に数えられた

  (解りやすく言うと、国家の一大事の時に天皇が頼る
   神社 "ベスト22社" に入っていた)

 2,そんな格式ある神社なのに応仁の乱以降に衰退、
   廃絶、江戸時代初期には場所すら判らなくなって
   しまった

 3,明治初期に丹生川上神社があった場所について議論が
   始まる。その結果、まず下市町と川上村の神社が比
   されたが、その後に東吉野村の蟻通神社そそれで
   ないかと。今では各々が下社、上社、中社に分かれ
   水を司る神を祀っている。

 4,"絵馬"発祥の神社といわれている(京都 貴船神社もそ
   ういわれている。中世以降、丹生川上神社の役目は
   貴船神社に変わっていったらしい。古くは馬を神様に
   献上(生け贄)していたが、それでは負担が大きすぎ
   るので藁や木で作られた馬になり、そのうち木に描い
   た馬に変わったと。最初は雨乞いのための絵馬だった
   ものが、いつしか願望祈願のための絵馬になったらし
   い

 5,「神武天皇が兵の士気を高めるため川に入って占いを
   行った際、彼らの運命を示した魚が鮎(あゆ)」とい
   う話は有名だが、その占いを行った場所が丹生川上
   神社前、高見川の"夢渕"と言われるところ。
   
 6,現代でも「晴れ男」「晴れ女」になりたいと訪れる
   人がいるらしい

 丹生川上神社のある東吉野村は奈良県東部、三重県との県境にあります。人口約1700人、美しい山々と清流が魅力でニホンオオカミが最後に捕獲された村としても有名なところ。村のランドマーク・高見山は関西のマッターホルンと呼ばれ、冬場は霧氷が見られるというとこで沢山のハイカーが集まります。

 村のHPには川遊びをする子供たちが画面いっぱいに写っていて、奈良市民には川遊びに行くなら絶対にココ!という人が多いほど「東吉野村 =川の恵み」とイメージが浸透している場所です。

 丹生川上神社、東吉野村へは交通の便がよいとは言えませんが、チャンスがあれば是非訪れていただきたいところです。以下、神社とその周辺の様子を写真でご紹介させて頂きます。
神社に近付くと道端に"丹生川上神社"と書かれた
登りが眼に入ってきます。爽やかなアクアブルーです。
十津川村や天川村の神社と同様、自然に抱かれて
厳かで神さびた雰囲気ではありますが、どこか優しい
感じがします。東吉野村の山々は奥吉野に比べてそれほど高くないからでしょうか。神社前がひらけて風通しが良く、川の流れる音が心地よい。

御祭神は水神・ミヅハノメノカミ



拝殿正面には水の恩恵を受ける関西電力、東京電力により奉納された絵馬ありました。昔は雨が欲しいときには黒馬を、雨がやんで欲しいときには白馬を実際に連れてきたようです。




拝殿右手にある「叶大杉」
幹に両手をあてて願い事を唱えると願いが
叶えられるという


先に参拝されていた御婦人たちに、
ぜひ飲んで行きなさいと水を勧められました

それほど大きな井戸ではありませんが、
すぐ近くに水面がありました
綺麗な水です

備え付けのカップで井戸水を頂くことが出来ます
美味しい水だったので撮影前に飲み干してしまいました


本殿の横には"相生の杉"がそびえます
この辺りも立派な杉が多い
境内を出て左に5分ほど歩くと吊り橋があります
この真っ赤な吊り橋を渡って滝に向かいます
神社で教えて頂いた"東の滝"まで来ました
決して大きな滝ではありませんが、
水量は非常に豊富です。条件がよければ光の加減で写真に龍神のような反射が映り込むようです。
神社前にある木津川、日裏川、四郷川の三支合流点。ここが"夢渕"と呼ばれる聖域で、かつて神武天皇が戦勝祈願の御神祭のお祀りをされた際に鮎が浮かび上がってきたと言われる伝説の場所。
夢渕の少し下流、神社駐車場のすぐ前です。ここも河原にも下りることが出来ます。とても綺麗な水です
(水の透明度がわかるでしょうか)川に入りたかったのですが、オッサン独りで川に浸かっても絵になりません。